七八 弘化二年三月 移動畑土元形戻し運び議定

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(七左衛門井出家蔵)

  差入申一札之事

 一当組内源七所持之内、道下耕地七左衛門名所下田弐反四畝拾壱歩之所、天保六未年中同組内万右衛門方江別紙質地証文之通リ質地ニ相渡候処、双方勝手ヲ以源七方ニ而請負小作致居候処、此度万右衛門方ニ而手作致候、然処右地続ニ源七所持之内下畑壱畝三歩之所先地主ゟ勝手ニ相成候故歟、右畑之土ヲ前書田之内江持運ひ有之候ニ付、今般村役人并五人組加判之者一同立会、双方納得之上右畑之土ハ畑敷江持返シ古形ニ致シ、且又右田之儀は一躰高田ニ而用水行届兼候儀も有之候ニ付、持寄候土之儀は其田之内江持返し候上は、双方聊申分無御座候、因茲別紙之通リ双方江絵図面為取替置候処相違無御座候、然上は向後相互ニ違論ヶ間敷儀決而致間鋪候、為後証五人組一同加判之一札差入申処仍而如件、

 弘化二巳年三月     七左衛門村

                当畑主 源七(印)

                当田主 万右衛門(印)

                五人組 源六(印)

                同   清兵衛(印)

                同   佐右衛門(印)

   同村

    御役人中


前書之通地主并親類五人組村役人一同立会之上相改メ絵図面之通リ相違無御座候、依之一同加判仕双方江為取替候処、為後証依而如件、

 弘化二年辰三月  七左衛門村

            畑主   源七(印)

            田主   万右衛門(印)

            [五人与兼/親類] 源六(印)

            [五人与兼/親類] 清兵衛(印)

   同村       五人組  佐右衛門(印)

    御役人中