(「袋山細沼家文書」国立史料館蔵)
寅年袋山村御年貢可納割付之事
上畠拾五町三反八畝廿壱歩 九拾五文取
此取拾四貫六百拾八文
上畠弐町五反歩 堤外 六拾文取
此取壱貫五百文
上畠拾七町四反八畝拾六歩 五拾五文取
此取九貫六百拾七文
中畠壱町九反歩 堤外 三拾文取
此取五百七拾文
屋敷壱町弐百壱畝拾歩 百文取
此取壱貫弐百拾六文
同所新田
中畠五町六反壱歩 堤外 卅五文取
此取壱貫九百六十文
下畠弐拾六町六畝廿七歩 内弐反六畝拾九歩
残拾三町三反歩 卅文取
此取三貫九百九十壱文
同拾弐町五反歩 水いり廿五文取
此取三貫百弐拾五文
永合三拾六貫五百九拾七文
右如此相定上ハ霜月ノ廿日切而可致皆済、若其過於無沙汰以譴責可申付者也、仍如件、
寛永三年寅霜月九日 伊半十(印)(花押)
名主百姓中
寅年御割付惣百姓出合申わり仕候、以来は六ケ敷事申間敷候、為後日如此候、仍如件、
寅十二月 藤左衛門(印)
太郎左衛門(印)
恵左衛門(印)
久右衛門(印)
四郎兵衛(印)
はやと(印)
理右衛門(印)
新左衛門(印)
惣百姓