(市史編さん室蔵)
乍恐書付を以御訴訟申上候事
一御鷹之餌犬子石ニ付、壱年ニ六疋之積り、壱疋ニ付 銀弐拾三匁五分ツゝ納申候御事
一春夏在〻御普請人足諸色大分ニ出申御事
一御六尺給干石ニ付、五斗程宛納申候御事
一御かさり竹大小杭木共ニ納申御事
一荏大豆小豆小麦大麦太細餅納申候御事
一御つきや人足千石ニ付、壱年ニ弐拾五人程ツゝ出シ申御事
一縄竹杭木御 殿御茶屋并堰やらいなかし舟橋圦橋御普請之時分出シ申御事
一うなき千石ニ付、壱年ニ六本ツゝ納申候御事
一御鳥之餌籾くもけら惣而 御城様御用物納申御事
一くこ・うこき・もち草・まこも・よもき・せうふ・蓮葉納申御事、如此高役并小役万御賄在郷並ニ仕候ニ付、大分ニ人馬ついへ、御通之御伝馬ニ差合迷惑仕候間、御慈悲を以御赦免被為遊可被下候、古河ゟ鉢石迄私領方之分ハ、御通り一編之御役斗仕候様ニ承候御事
一奥筋ゟ罷上り候商人惣而駄賃之分ハ、先年ニ相替りおとめ、古河其外方〻ニ新かしを立、舟ニ而御江戸へ廻し申ニ付、駄賃ハすくなく罷成、御伝馬之儀ハ古河ゟ鉢石迄之町〻ニ相替り、ゆふき御巣鷹下妻御とや出し、并ニ八条・岩付・川辺・榎本筋御鷹之鳥、八月ゟ三四月を切而昼夜共ニ送り申ニ付、人馬多入申候御事
一草加ゟ栗橋迄六ケ所之分役馬大分死申、少〻之有馬ニて御伝馬送りかね迷惑仕候、殊ニ去午未両年之旱損ニ付作物違候而、当分かつへニ及申故馬買申儀不罷成候間、御情を以御借用被為遊可被下候御事
一日光道中之儀、上方筋同前ニ御役仕候間、在〻ゟ添伝馬被仰付可被下候御事
右之通り御慈悲を以御助被下候ハゝ、難有可奉存候、仍而如件、
明暦弐年申四月 [日光海道草加町ゟ栗橋町迄六ヶ所/問屋年寄判形致差上候]、
覚
一高千八百九拾壱石壱斗八升弐合 草加町
一高弐千三百九拾三石六斗六升六合 越ヶ谷町
内 八百弐拾弐石四斗壱升壱合 大沢町
千五百七拾壱石弐斗五升五合 越ヶ谷町
一高千弐百五拾七石弐斗八升五合 粕壁町
一高千百拾三石八斗壱升五合 杉戸町
一高千五百弐拾弐石六斗六升四合 幸手町
一高七百六拾四石六斗五升九合 栗橋町
合高八千九百四拾三石弐斗七升壱合
外高千弐百三拾七石壱斗壱升四合 千住町
右日光道中町〻高役御赦免被下候様ニと御訴訟申上候ニ付、高辻如此郷帳之高ニ相違無御座候、
伊奈半左衛門内
田口勘兵衛
表書之通草加町ゟ栗橋町迄六ヶ所之高役之事、日光道中御用多有之ニ付、各御相談を以御赦免候間、高役除之可被申候、断ハ本文ニ有之候、以上
村越次左衛門判
伊丹蔵人判
曾根源左衛門判
右之通御証文相済、高役御赦免被成候、本文ハ油比平兵衛・疋田長兵衛役割之時分此段御用可被成候、以上
申ノ九月二日 御勘定所
入江長兵衛殿
奥 甚兵衛殿
【附記】右之通相違無御座候、以上
享保二十一年辰四月 新方領大沢町
名主 弥兵衛(印)
伊奈半左衛門様 年寄 弥五右衛門(印)
御役所 同 次左衛門(印)