九一 明暦二年九月 日光道中六ヵ宿高役免除証文

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(市史編さん室蔵)

  乍恐書付を以御訴訟申上候事

一御鷹之餌犬子石ニ付、壱年ニ六疋之積り、壱疋ニ付 銀弐拾三匁五分ツゝ納申候御事

一春夏在〻御普請人足諸色大分ニ出申御事

一御六尺給干石ニ付、五斗程宛納申候御事

一御かさり竹大小杭木共ニ納申御事

一荏大豆小豆小麦大麦太細餅納申候御事

一御つきや人足千石ニ付、壱年ニ弐拾五人程ツゝ出シ申御事

一縄竹杭木御 殿御茶屋并堰やらいなかし舟橋圦橋御普請之時分出シ申御事

一うなき千石ニ付、壱年ニ六本ツゝ納申候御事

一御鳥之餌籾くもけら惣而 御城様御用物納申御事

一くこ・うこき・もち草・まこも・よもき・せうふ・蓮葉納申御事、如此高役并小役万御賄在郷並ニ仕候ニ付、大分ニ人馬ついへ、御通之御伝馬ニ差合迷惑仕候間、御慈悲を以御赦免被為遊可被下候、古河ゟ鉢石迄私領方之分ハ、御通り一編之御役斗仕候様ニ承候御事

一奥筋ゟ罷上り候商人惣而駄賃之分ハ、先年ニ相替りおとめ、古河其外方〻ニ新かしを立、舟ニ而御江戸へ廻し申ニ付、駄賃ハすくなく罷成、御伝馬之儀ハ古河ゟ鉢石迄之町〻ニ相替り、ゆふき御巣鷹下妻御とや出し、并ニ八条・岩付・川辺・榎本筋御鷹之鳥、八月ゟ三四月を切而昼夜共ニ送り申ニ付、人馬多入申候御事

一草加ゟ栗橋迄六ケ所之分役馬大分死申、少〻之有馬ニて御伝馬送りかね迷惑仕候、殊ニ去午未両年之旱損ニ付作物違候而、当分かつへニ及申故馬買申儀不罷成候間、御情を以御借用被為遊可被下候御事

一日光道中之儀、上方筋同前ニ御役仕候間、在〻ゟ添伝馬被仰付可被下候御事

右之通り御慈悲を以御助被下候ハゝ、難有可奉存候、仍而如件、

  明暦弐年申四月 [日光海道草加町ゟ栗橋町迄六ヶ所/問屋年寄判形致差上候]、

    覚

一高千八百九拾壱石壱斗八升弐合   草加町

一高弐千三百九拾三石六斗六升六合  越ヶ谷町

 内 八百弐拾弐石四斗壱升壱合   大沢町

   千五百七拾壱石弐斗五升五合  越ヶ谷町

一高千弐百五拾七石弐斗八升五合   粕壁町

一高千百拾三石八斗壱升五合     杉戸町

一高千五百弐拾弐石六斗六升四合   幸手町

一高七百六拾四石六斗五升九合    栗橋町

 合高八千九百四拾三石弐斗七升壱合

 外高千弐百三拾七石壱斗壱升四合  千住町

右日光道中町〻高役御赦免被下候様ニと御訴訟申上候ニ付、高辻如此郷帳之高ニ相違無御座候、

           伊奈半左衛門内

               田口勘兵衛

表書之通草加町ゟ栗橋町迄六ヶ所之高役之事、日光道中御用多有之ニ付、各御相談を以御赦免候間、高役除之可被申候、断ハ本文ニ有之候、以上

             村越次左衛門判

             伊丹蔵人判

             曾根源左衛門判

右之通御証文相済、高役御赦免被成候、本文ハ油比平兵衛・疋田長兵衛役割之時分此段御用可被成候、以上

  申ノ九月二日        御勘定所

      入江長兵衛殿

      奥 甚兵衛殿

 【附記】右之通相違無御座候、以上

  享保二十一年辰四月  新方領大沢町

              名主 弥兵衛(印)

   伊奈半左衛門様    年寄 弥五右衛門(印)

     御役所      同  次左衛門(印)