(『旧記参』市史編さん室蔵)
一永弐百四拾文 油絞り冥加永 口永不懸
一永七拾文 酒造冥加永 口永不懸
右油絞り冥加永之儀、明和九改元有テ安永元辰年ゟ如何之御改ヲ請左之通被仰付候哉、壱口ニ付永八拾文ツゝ当村ニ而三口分合永弐百四十文、油絞り冥加永村請御上納仕、則同年より皆済目録ニ御書載有之、尤納人は百姓繁右衛門方ニ而弐口分、同又四郎方ニ而壱口御上納仕候、一躰安永元辰年は諸運上之類冥加永諸国一統厳重ニ御取調有之年柄之由ニ而、右被仰付候儀ニ奉存候、
右酒造冥加永之儀明和九辰改元有テ安永元辰年ゟ、如何之酒造米石数御改請左之通り被仰付候哉、永七十文ツゝ酒造冥加永御上納仕、則同年ゟ皆済目録ニ御書載有之、尤納人は百姓勘兵衛方ニ而上納仕候、然ル処酒造株享和元酉年ゟ 【ママ】譲渡し致度、其段双方ゟ御役所江申立候上ニ而当村方右冥加永御上納相止ミ申候、
天明五巳年油絞り無株稼有無御改御廻状之事
油絞り之儀ハ手作之絞草ニ而絞立、私ニ遣候ハ格別、他之絞草買入油絞候儀は不相成、一村之内たりとも他之絞草買請絞油稼致間敷旨、前〻ゟ度〻御触も有之、其上無株之油稼は不相成猥油稼いたし候ハゝ、当人は勿論所之もの迄曲事ニ可被仰付旨、猶又安永五申年十二月諸国一統御触茂有之候処、今以油絞不相止江戸表ハ勿論、在〻ニ而絞草買入専油売者いたし、又は賃油絞取替絞杯と名付稼いたし候趣相聞不埒ニ付、今般油絞一件奉行所ニ而御吟味有之、在〻油稼致候もの差紙を以御呼出有之処、右差紙之名前ニ洩候もの共之内是迄油稼いたし候段全心得違恐入、此上御差留有之候而ハ稼ニ離れ難儀ニ付、相応之冥加永上納油稼仕度段自訴いたし候もの共も有之、右躰申立方奇特之由御沙汰有之候、右ニ付先達而手絞油稼いたし候もの之名前書上ニ洩候者も有之は相糺早〻名前可出候、此節於申出ハ自訴之者ニ准し永〻稼相続いたし難有可存事ニ候、若又隠置以来相聞候ハゝ急度可被仰付条得其意、村〻巨細相糺油絞いたし候もの有無共ニ書付、早〻可差出候、此廻状村下印形いたし無遅帯順達留村ゟ可相返候、以上
巳五月 布施弥一郎役所 村〻
右之通り御廻状ニ付、村方油絞之者名前書御役所江差上候処、其後天明六午年正月越ヶ谷宿江御改役人様方御越被成御呼出し、
覚
大畠村 次兵衛 増森村 佐平治
次右衛門 権右衛門
新方袋村 重兵衛 越ヶ谷宿 清兵衛
笹久保村 三之丞 源八
蒲生村 重三郎 長右衛門
瓦曾根村 源太郎 伊右衛門
大相模村 繁右衛門 弥兵衛
又四郎
長兵衛
右之者油絞稼方之儀ニ付申渡御用有之間、明三日夕八ツ時銘〻村役人之内壱人宛差添、越ヶ谷宿自分共旅宿江可罷出候、此廻状早〻順達留り村ゟ持参相返し可申候、以上
正月二日 御普請役 和田繁蔵
田辺安蔵
右之通り御廻状ニ付、御旅宿江罷出候処、糺方殊外六ヶ敷壱口ニ而何斗絞何頁目懸ケ人数何人相懸り候哉巨細ニ相糺、尤其土地之風ニ而何貫目/\と人〻之勝手儘有之者と相見江、右等之処殊外御念入御糺有之事、乍然当村之儀は前〻冥加永御上納之通りニ而相済申候、
右天明之度御触書留致之分、三谷利左衛門御用向ニ書留有之写之置候、