一二六 文化五年十一月 所払者帰村願

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(西新井新井省三家蔵)

  乍恐以書付奉願上候

一御領分西新井村百姓左源太忰勘右衛門、親類惣代組頭藤右衛門左ニ奉申上候は、日光道中越ヶ谷宿御伝馬定助郷村御座候処、弐拾八ヶ年以前天明二寅之九月十九日、日光御名代様御通行被遊候節、右宿問屋方ゟ触筋人馬不参御座候ニ付、問屋喜左衛門方ゟ奉出訴村役人并小前不参之者共相手取候ニ付、其節御領分当村勘右衛門祖父元名主八郎左衛門、御料所年寄四郎左衛門両人罷出双方御吟味奉請候処、道中御奉行桑原伊予守様於御役所ニ、翌卯ノ九月中両人共ニ所払被仰付候、然処ニ五ヶ年以前子之六月中道中御奉行石川右近将監様御役所江被召出、御赦免帰村被 仰付、共後江戸浅草寺内自徳院境内ニ而家主相勤罷有候処、此度当去ルハ月中左源太病死仕候、然処勘右衛門未若年者ニ御座候得は、百姓役并身上向世話届兼難義至極仕候、依之恐多御座候得共勘右衛門并親類一同奉願上候は、右八郎左衛門帰村為仕度奉願上候、以御憐愍帰村被 仰付候上は百姓名前八郎左衛門儀身上相続為仕度勘右衛門并親類一同奉願上候、何卒各別之以御慈悲願之通被 仰付被下置候ハゝ勘右衛門并親類一同偏ニ難有仕合奏存候、以上

  文化五辰年十一年  御領分西新井村

                左源太忰

                   勘右衛門

              右親類惣代

               組頭  藤右衛門

               五人組 久左衛門

               同   弥兵衛

               同   久兵衛

  御会所

 前書之通願申候ニ付、奥印仕奉差上候、以上

              西新井村

  辰十一月         名主  儀左衛門