一三〇 文政元年七月 家出人出入内済証文

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(『御用留』大沢福井家蔵)

  差上申済口証文之事

武州埼玉郡大沢町百姓旅籠屋権右衛門地借平右衛門ゟ、百姓権右衛門地借弥市并同人娘つた、問屋本陣権右衛門地借亀太郎妻とらを相手取、平右衛門妻みさ家出致候を世話仕候旨行衛出入申立、当月五日御差日之御差紙頂戴相附候処、相手之者共ゟも行衛之義ハ不奉存趣品〻返答書を以申上、当時御吟味中に御座候処扱人立入、当月廿日迄御日延奉願上双方へ異見差加熟談内済仕候趣意、乍恐左ニ奉申上候、

一右出入双方篤与承糺候処平右衛門義、当六月十六日江戸表へ商内物仕込ニ罷越候留主中、同人妻みさ風と家出仕候処、平日弥市娘つた并とら儀ハ懇意之中之儀故、行衛存知可居旨相尋候得共、彼是取敢不申、剰当四月中右相手之者共みさと格別ニ懇意致呉間敷旨断頼も致置候所、其後も近所之義ニ付突合致候上ハ行衛ハ可存居様奉訴上候、然処今般みさ儀心願之筋有之候迚家出いたし候始末之処、近在ニ而見当リ候ニ付連戻リ異見差加候所全心得違ニ而致家出、右一件ニ付候而ハ争論も発リ候段孰レ江対し候而も気の毒ニ奉存、先非後悔仕候而世話人相頼、夫平右衛門江詑入、心底相改家内江立帰リ商内出情仕度旨申之、且つた并同人親弥市、亀太郎妻とら儀も全行衛不存者共へ掛リ合為致候段気之毒之始末品〻申入候上は、双方共納得之上和融仕度、尤御吟味中申争慎合之義ハ扱人貰請、以来相手之者共みさ一同睦敷突合仕候筈、聊無申分熟談内済仕偏ニ御威光与難有仕合奉存候、右一件ニ付重而双方ゟ御願筋毛頭無御座候、依之訴答并扱人一同連印之済口証文差上申所如件、

  文政元寅年七月  武州埼玉郡大沢町

            百姓旅籠屋権右衛門地借

           訴訟人     平右衛門

            右差添

           相手 代兼問屋 権右衛門

            問屋本陣権右衛門地借

            亀太郎妻とら并百姓権

            右衛門地借弥市煩ニ付

            右両人代兼同人娘

           相手      つた

            右差添組頭又兵衛煩ニ付

                代  新兵衛

            百姓喜左衛門代兼太郎兵衛

           扱人   地借 喜三郎

 大貫次右衛門様

      御役所