一三一 文政十三年十二月 奉公人請状

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(「砂原松沢家文書」市史編さん室蔵)

  相定申請状之事

一此わき与申女慥成者ニ御座候ニ付、我等人主受人ニ罷立、当寅十二月ゟ来ル卯十二月迄中壱ヶ年ニ相定、為給金と弐両壱分受人立会ニ而只今慥ニ受取、貴殿御奉公ニ入置申候処実正也、但し此者長煩致候歟又ハ無奉抔仕貴殿御気入不申候ハゝ、何時成共御隙御出し可被成候、且又取逃欠落仕候ハゝ取臟物ハ不及申ニ其者共ニ三日之内尋出し返し置可申候、若見へ不申候ハゝ能人代成共亦ハ身代金成共貴殿御望次第ニ急度埓明ケ可申候、此者ニ付横合ゟ構申者無御座候事

一御 公儀様御法度之義ハ不及申ニ、御家之御作法何ニ而茂為相背申間敷候事

一此者宗旨之儀は代〻ゟ真言宗ニ而、末田村金剛院旦那ニ紛無御座候、尤寺請状御入用之節ハ何時成共急度差出し可申候、為後日請状証文入置申候処、仍而如件、

  文政十三年寅十二月日  砂原村

               入主 治助(助)

               受人 松五郎(印)

       同村

        礒右衛門殿