(七左衛門井出家蔵)
乍恐以書付奉願上候
武州埼玉郡七左衛門村
百姓 幸次郎
辰三拾壱才
右之もの義高壱斗三升六合所持、家内五人暮ニ而農業営罷在候所、去卯十一月十八日不斗罷出立帰リ不申候ニ付、心当リ所〻相尋候得共更行衛相知不申候ニ付、其段同月晦日御訴奉申上候所、其節ゟ来ル月六月三日迄百八十日限尋方被 仰付候ニ付、心当リ種〻相尋罷在候所、此節隣村親類之方迄便リ参リ、只管帰住之義相歎候ニ付、出先之始末篤与承リ糺候所、諸方借財出来払方手段ニ差支一旦欠落いたし侯所ニ、懇意之方江便リ参リ日雇等相稼、右借財相済此節立帰リ候所最早欠落御訴いたし候与承知仕、其儘家内江も難立帰、此上帰住被下れ候上は、農業出精いたし度与相歎候ニ付、私共ニおゐても歎ヶ敷奉存候間、何卒以 御慈悲右幸次郎身分帰住被 仰付被下置度奉願上候、以上
安政三辰年二月廿二日 右七左衛門村 幸次郎
組頭惣代組頭 浅五郎
組合惣代同 兵右衛門
村役人惣代名主 門平
斎藤嘉兵衛様
御役所