(七左衛門井出家蔵)
差入申詑一札之事
安五郎忰源太郎儀、拾四ヶ年以前去巳年中内借等相嵩候ニ付、同人妻子共不斗家出いたし候間、親類組合中心当リ遠近所〻相尋候得共行衛一向相知不申候、其時之御支配様御役所江欠落御願奉申上候処、追〻日限尋被仰付候、然ル処源太郎実親安五郎儀追〻老衰いたし、殊ニ病身ニ而相続相成兼必至与難渋至極仕候ニ付、親類五人組歎ヶ敷存居候処、右源太郎儀ハ素ゟ農業之間紺屋形附渡世罷在候間、所〻日雇稼致居候得共日〻両親ヲ案事暮居、無此上茂不孝ニ相成候哉与心附候、今更前非後悔仕一言之申訳茂無御座候、此度親類作右衛門方江参リ先年不調法之段幾重ニ茂貴殿并御役人中江御詑言被成下度候様相歎、何分ニ茂帰住いたし両親ヲ介抱致度候段相歎候ニ付、依之親類五人組一同御詑言申入候処、種〻御利解被御申聞、再応御歎願申入候得は、格別之以御勘弁今般 御支配様御役所江帰住御願御聞届被成下忝存候、然上は向後農業出精仕両親之介抱いたし、右躰不埒之儀決而致間敷候、万一如何之儀出来候共親類五人組ニ而引請、御役人中江聊御苦労相掛申間敷候、依之為後日親類五人組一同、加判詑一札入置申処如件、
安政五午年二月 埼玉郡七左衛門村
安五郎(印)
源太郎(爪印)
親類 佐右衛門(印)
五人組 市太郎(印)
同 彦左衛門(印)
同郡同村
御役人中