一四七 明治四年三月 神袛道者宗門改

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(「西方秋山家文書」市史編さん室蔵)

  宗門御改ニ付奉書上候

一切支丹耶蘇宗門之儀は、従前〻兼而被仰出候、御制札御条目之通堅相守り、今以僉儀仕候処、私共家内妻子ニ至迄御法度之宗門之者壱人も無御座候、尚又以後奉公人等差置候節は慥成寺請状取置可申候、若此上不審成者御座候ハゝ早速可申上候、以上

一高拾弐石壱斗九升九合

  神袛道      秋山寿請(印) 未五十八才

            女房 まさ  同五十三才

            忰  要助  同[ ]【虫喰】才

     〆三人内[男 弐人/女 壱人]

   去午年御改後入人之分

 一忰 要助 此者村方兄吉重郎方ニ而百姓仕候処、身弱ニ付引取申候、

   去午年御改後出人之分

 一娘 ひさ 是は当未二月中、百姓要助跡相続為致申候、

   去午年 人別三人内[男壱人/女弐人]

   当未年 人別三人内[男壱人/女弐人]

        男壱人増 女壱人減

         差引増減無御座候、以上

右は私共人別之儀 御法度之宗門之者決而無御座候、并入人出人取調候処書面之通相違無御座候、以上

 西方村鎮守          右神主

  稲荷大神  二社       秋山寿請(印)

   明治四年未三月

 小菅県

   御役所