(登戸関根家蔵)
相定申一札之事
一当村名主八右衛門去ル二月病死忰富之助幼少ニ付、名主御役儀当年番年寄両人ニ而引請候而、当分相勤申度御訴申上是迄相勤罷在候処、此度村中惣百姓富之助親類共相談之上相極申候は、古来名主役高之儀は只今迄之通諸役入目相除置、年番年寄両人ニ而名主御役引請富之助十五歳迄相勤可申候、富之助十五歳ニ罷成候ハゝ名主御役願惣百姓方ゟ御願可申上候間、無相違右役高を以富之助方ニ而御勤可被成候、然上は年番年寄両人ニ而名主御役相勤候内は、助合として壱ヶ年ニ金三両年寄両人方江富之助方ゟ相渡シ可申候、尤御廻状継送リ御伝馬当触諸御用向村〻名主中寄合相談等之節は、富之助後見藤助并年番年寄一同申合罷出相勤可申候、
一御年貢米永取取【立カ】之儀は、只今迄之通年番年寄立合富之助宅ニ而小前取立可仕候、
前書之通惣百姓納得之上相談相極申所、相違無御座候、為其連判仍如件、
安永二年巳五月 登戸村
惣百姓 佐右衛門(印)
甚右衛門(印)
【後欠】