一五八 安永六年四月 砂原村名主役高減石願

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(「砂原松沢家文書」市史編さん室蔵)

  乍恐以書附惣百姓奉願上候

    米倉丹後守領分

        武州埼玉郡越ヶ谷領砂原村

               本百姓 弐拾六人

                惣代 六左衛門

                同  政右衛門

                同  常右衛門

                同  三右衛門

一乍恐惣百姓共奉願上候儀、先年ゟ段〻近来御伝馬夥敷罷出候、殊ニ去申年は 日光御社参以後諸御大名様方数多 日光山江御通行被為遊候ニ附、御伝馬甚余分罷出候、其外越ヶ谷宿江伝馬惣代之給金并ニ水夫出入等ニ而諸入用相掛リ、甚困窮仕候ニ付、当春中去申年分御用金御上納可仕候所、当春中茂困窮故出来兼申候ニ附、名主相頼御延引ノ願申上候程之困窮ニ御座候得ハ、百姓共とせいも送兼候程ニ御座候間、依之両名主方江願候様は、各〻方高六拾石ニ而壱ヶ月替リニ御役御勤罷成候、惣百姓共甚困窮仕候ニ附、何卒高三拾石ニ而壱ヶ年替ニ御役御勤罷成被下候而、休之御方ハ百姓役御勤被下候と願候得は、私共ハ自分之役ニは無御座候、従御地頭様御役奉蒙候役ニ御座候得は、何れとも挨拶成兼候と被申候ニ付、無是悲御 前様江乍恐奉願上候、何卒両名主被為 御召出被下置而右願之儀御前様御威光を以被為 仰付被下置候ハゝ、惣百姓共難有仕合奉存候、此外御尋之上口上ニ而御申上候、以上

  安永六年酉四月   武州埼玉郡越ヶ谷領砂原村

               願人惣百姓

                  弐拾六軒

 米倉丹後守様

     御役所

乍恐書面之通リ拙者共惣百姓弐拾六軒之惣代ニ罷出候所、御支配様御意被遊候様ハ、決而難立願与被為御意遊候而御取上ケ無御座候、依之拙考共無是悲当 御 奉行所様江乍恐奉願上候、何卒御慈悲を以両名主共被為 御召出候而、右拙者共願之儀被為 仰付被下置候ハゝ難有仕合ニ奉存候、此外御尋之上口上ニ而可申上候、以上

  安永六年酉四月   武州埼玉郡

              越ヶ谷領砂原村

               惣百姓惣代

                  六左衛門(印)

                  政右衛門(印)

                  常右衛門(印)

                  三右衛門(印)

 御奉行所様