一六六 文政十三年六月 東方村再議定

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(東方中村家蔵)

文政十三寅年

  領中副議定ニ付村方議定之事

一御 公儀様御法度之儀ハ不及申、此議定之外前〻議定急度相守可申候事

一博奕筋之儀旧来村方議定も有之候処、今般領中副議定相極り候ニ付、何れを滅何れを立候も難致候ニ付、以後過料銭之儀ハ貧福ニより其時〻相談之上、両様之内ヲ用可申候事

一御法度之講之外信心ニ致候ハゝ、神事之講一ヶ年ニ一度仏事之講同断、右廻り宿ニ而壱人壱講宛一ヶ年ニ壱度之外加入出席致間敷候、尤手作之野菜を以一汁一菜ゟ不可過、酒肴ハ不及申野菜たり共買調申間敷候、且新規之講取立申間敷候事

  但手酒たり共給り申間敷候、

一観音講・念仏講其外講事是迄毎月有之候分も、廻り宿ニて一ヶ年ニ五度之外決而致間敷、是又壱人一講之外加入出席致間敷、尤麁茶豆いり等之外決而不差出、万一何歟与名目を付酒飯等之類給候ハゝ、宿ハ不及申講中不取締ニ付、右講永代□相止申候事

右二ケ条講相催度候ハゝ、農業透之節を見合組頭中迄相願差図を受相催可申候、尤何講ニても夫〻講連之名前不残書印組頭中迄差出置可申候、愽奕筋喧〓口論ハ不及申悪キ雑談等決而致間敷、一体講事之儀ハ信心之為且ハ田畑作付蒔入仕付耕作之評談ニ打寄候儀ニ付、不礼不左【作】法等無之様可致候事

一葬礼之儀万事村役人之差図を請成丈ケ軽可致候、縦令身元宜敷者たり共、掛り之村役人親類縁者組合最寄之者相集り世話いたし、成丈ケ少人数ニて相働可申候、尤村内之者悔ニ参り候共茶斗ニ而早速相帰り可申候、他村より悔ニ参り候儀急度差留、村方ゟも他所へ参り申間敷候事

  但酒之儀ハ何様名目を付候共、決而出申間敷候、

一休日之儀前〻取極有之候得共、尚又今般相談之上相改申候、向後左之通

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 二月 朔日 初午 八日 十五日 廿二日 廿八日

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 三月 朔日 三日 八日 十五日 十八日 廿二日 廿八日

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 四月 朔日 八日 十五日 廿二日 廿八日

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 五月 朔日 五日 八日 十五日 廿二日 廿八日

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 六月 朔日 八日 十五日 廿二日 廿八日

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 七月 朔日 七日 八日 十四日 十五日 十六日 廿二日 廿八日

 休日合三拾七日 内○印ハ女迄相休但廿四日也、

 外田うなひ 田うへ 田の草 虫をくり 神酒 三十三巻経 六月八日百万編

 〆六日是ハ時宜ニ寄名主中ゟ触出し男女共相休

 右何れも昼後ゟ相休可申候、尤此内ニても不相休儀ハ勝手次第、

右ハ是迄村方御取締筋議定も有之候得共、尚御村役人中御相談之上右ニ相洩候儀、又ハ是迄与趣意違候儀ヲ御取極成逸〻承知仕候、右相背候ハゝ何様ニも御取計可被成候、仍而連印一札如件、

 文政十三寅年六月十二日    東方村

                 徳兵衛 印

                 良右衛門 印

                 【外三七名連印略】

    中村庄右衛門殿