一七三 嘉永六年十月 八条領寄場に付議定

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(「袋山細沼家文書」明治大学蔵)

  為取替申一札之事

去ル文政十二丑年御取締筋御趣意被 仰出最寄組合村〻寄場取極置候処、今般八条領拾ヶ村之義は同領江圏【囲カ】補理寄場相立罷在、然ル処越ヶ谷・大沢両宿ゟ前〻仕来を以御取締様火附盗賊御改御組衆ゟ、囚人番人足其外共当触罷在候処、同領儀は前書之次第ニ而重役ニ相成候ニ付、今般関東御取締御出役中山誠一郎様江御願立ニ相成候処、双方御呼出ニ相成御理解ニ付、示談之上以来越ヶ谷・大沢寄場組合村ニ而、囚人番人足其外共相勤候筈、尤も是迄八条領拾ヶ村ニ而相勤候囚人番其外之義は、同領ニ而勤捨ニ致シ候筈、今般改而示談行届候ニ付、為後為取替議定依而如件、

 嘉永六丑年十月

         八条領寄場

          八条村外三拾四ヶ村惣代

           斎藤嘉兵衛御代官所

             武州埼玉郡八条村

                名主  宗兵衛

           同御代官所

             同州同郡柳宮村

                同   新右衛門

           松平下総守領分

             同州同郡柿木村

                同   浅右衛門

           森川豊太郎知行所

             同州同郡浮塚村

                同   仁平

         越ヶ谷宿大沢町

          外三拾七ケ村組合惣代

           斎藤嘉兵衛御代官所

             同州同郡大沢町

                [名主/問屋]兼 鳳之輔

           同御代官所

             同州同郡越ヶ谷宿

                年寄  市蔵

   [越ヶ谷宿/大沢町]大小惣代中