(慶応大学蔵)
乍恐以書付奉願上候
武州埼玉郡神明下村名主保太郎外弐人ゟ、年寄武平次并忰彦左衛門江相掛リ、当村は御料外五給入会田畑共悉入交居候処、武平次義居宅取建方其外村内一統之作場道人馬通路之場所等手儘ニ模様替致し、其余右道北之方江新道補理竹木等植付通行差支様仕成、旁村方一統之難儀相成候ニ付、元形之通取直し候様懸合候得共、兎角忰彦左衛門我意申居取敢不申、村方治リ兼候趣を以、御利解奉願上候一件御糺中之処、扱人立入右は地所之義ニ付一同一ト先帰村奉願上、於村方扱人并外給〻村役人一同立会之上、武平次并忰彦左衛門義是迄心得違之廉〻相弁、前書ケ所之村方之もの差障相成候場所は、差支不相成様示談之上取直し、已来新規自己之取計不仕筈、且彦左衛門義一且村役人申聞不取敢同人心得違ゟ畢竟今般之次第ニ至リ候義ニ付、右申訳与して同人は武平次跡家督不譲請、弟豊助江相譲候積リ、尤此上共改心家内和合睦敷農業出精可仕筈、夫〻議定取極一同無申分熟談内済相整、此上御吟味奉請候而は奉恐入候間、何卒以 御慈悲右一件是迄ニ而御下ケ被成下置度、一同連印を以奉願上候、以上
万延二年二月廿日
武州埼玉郡神明下村
年寄太郎左衛門煩ニ付代兼
願人 同 武左衛門
名主 保太郎
年寄武平次忰彦左衛門煩ニ付代兼
相手 右 武平次
組合惣代
百姓 万次郎
四丁野村年寄佐左衛門煩ニ付代兼
袋山村
扱人 名主 吉左衛門
竹垣三右衛門様
御役所