(東方中村家蔵)
【表紙】
「御一新御取締向 巡暹
慶応四辰年正月十六日
○領中議定 四月二日丁内
○八洲御取締御廃止 閏四月十六日町内
○御代官御取締御請書 同廿二日八条
八条領東方村 中村庄右衛門義章(印)」
議定一札之事
一当今御時節関内之儀は、別段御取締筋被 仰渡候ニ付而は、御触之趣厳重相守、村〻取締方左之通
一渡船之儀は、南百村之外御差留ニ相成候上は、川端ニ繋置候田船不残面〻之宅江引取、川附江一切差置申間敷、且大小惣代并村役人不時見廻リ可申事
一高百石ニ付人足五人宛丈夫之もの相撰備置、竹鎗竹楷子鳶口等得物用意致置、合図次第名主宅江相集リ差図ヲ請可申候、他村之騒動有之節は村役人差添村境迄出張致し相固居、其村ゟ通達次第早速馳着可申事
附リ 悪党もの参リ候節相図有之候而も、不出合村方有之候ハゝ、早速御取締御出役様江申立御吟味請取計可申事
一悪党共并不審成者止宿合力は勿論、何ニ而も強談及候節は、成丈隠便ニ取計騒立不申様取計可申、万一手余候ハゝ討捨ニ致其段早〻寄場江注進致、大小惣代寄合相談之上夫〻其御筋江申立、事済相成候様可仕候、右入用は大小惣代詰合候節ゟ事済迄は不残組合村〻高割出金可仕候、其已前は其村持切候事
一右手配ニ付村方ニ而怪我致し療治中、扶持方は村方持切之事、医御薬礼之儀は領中高割、若相果候者ハ金廿両、内拾両は村方拾両は領中ゟ助合候筈
右之通領中村〻一同相談之上取極候上は、村〻励合不取締之儀無之様情々可仕候、何れ之村方ニ而騒動出来候共、相互ニ実意ヲ致し合、諸入用等ニ付聊不実之取計仕間敷候、為念連印致置申処如件、
慶応四辰年正月十六日 八条領三十五ヶ村連印、前書方今之御時勢別段御取締向之儀、御沙汰之趣も有之領内議定之趣一同承知仕、当村・見田方村両村申合手配合図等談合之趣是亦承知仕候、以上
西口辺 玉蔵院半鐘 辰四月十三日参会申合
南馬場辺 安楽院同断 一八ケ村欠付沙汰人足名
内輪高畑辺観音寺 主宅へ寄セ、
[辻飯辺最寄/後方最寄]浄音寺大鐘 一人足焚出し引取候後村方ニ而、
一組上谷組隔地ニ付麦塚村ニ組込可申哉、
一高張 四張
一竹梯子 四挺 組〻最寄へ置可申候、
一竹鎚 銘〻用意揃置可申候、
一鳶
一船引揚ケ
平蔵
源右衛門
清太郎
○きく
辰四月廿八日村方咄し合 龍之助
村内ふせかね 銀蔵
外村相報□リ 源蔵
三組咄し合之内 初五郎
与頭共三人申之 三蔵
彦次郎
卯之助
宗五郎
幸八
藤蔵
義右衛門
卯太郎
前書之趣承知仕候、 組頭 才兵衛
同 幸右衛門
同 杢左衛門
名主 中村荘右衛門殿
差上申御請書之事
今般領中村々取締之儀被仰渡候ニ付、一同相談之上取締方左ニ奉申上候、
強壮之者 廿人
東方村名主年寄
本文三拾五ヶ村五組引訳取締方申合候得共、何レ之村方ニ乱暴等有之候而茂、其組合村〻は拾五才以上六拾才以下之者軒別ニ罷出、外組合村は本文之通世話役之者人足拾人ツゝ駈付夫〻相防候筈取極候間、此段下ケ札ヲ以奉申上候、以上
一暴行乱妨之者村〻江罷越強談之上金子等押借、又は狼籍ニ及候節は鳴物ヲ以相図致シ、村〻ニ而も受継兼而用意之竹鎗鳶口ヲ携駈集可申事
差上申御請書之事
今般関東御取締出役御廃止相成候得共、在方御取締筋之儀は追而御沙汰有之候迄、都而文政度御改革之御趣意ニ基き、当御支配所最寄領分知行之分共御取計相成候間、其旨可相心得旨被 仰渡承知奉畏候、依之御請印形差上申処如件、
口達之覚
今度御取締筋之儀、文政度御改革御趣意ニ基き取計候段申渡候ニ而は、盗賊其外悪党者立廻リ次第速ニ廻村先江注進可致は勿論、博奕を渡世同様ニいたし候ものハ召捕厳重可及御沙汰候間、聊無用捨可訴出候、都而是迄関東御取締出役ゟ申渡置候趣相守、農業渡世を怠リ身持不宜、五人組村役人等ゟ異見差加へ候而も不取用ものハ、早〻教諭願出可申事
見廻之節人数組
一世話心得 三人ゟ五人位迄
人数進退いたし、時ニ臨掛引心得、一躰之心得方一同之者江心附ケ、賄入用其外諸払、在中之様子不絶心付、道案内之者江探索申付方、
一書記方
右之件〻相心得兼而分持置可申候、
一出役下役 七八人ゟ十人迄
胆勇を旨与いたし気早之取計不致、手先之ものニ附若手向いたし候節は打居討捨可申候、
一強壮之者
捕方并探索向且日〻壱両人先番相心得、先〻穿鑿およひ、旅宿賄方差図之儀心得可申候、
〆弐拾人
右何レも途中不作法之儀無之、行逢候者は先方身分ニ不抱成丈ケ片寄相通し可申候、
一本往還ニ而は弐行ニ並ひ、野道ニ而は壱人立ニ可致候、
一銘〻弁当之儀腰ニ付候積リ、細引壱筋懐中可致候、雨道具用意可致候、
一得物携候儀銘〻勝手次第ニ可致候、
一賄方朝は一汁一菜ニ限リ、魚類は勿論所ニ無之品買上相用候儀為致間敷候、
一膳は無用ニいたし、盆折敷広蓋等江椀茶椀を戴せ可為差置候、
一弁当は梅干味噌香之物を用可申候、
一旅宿壱軒ニ而為相済可申、差支候節は此方ゟ可申付候、
人撰心得
一下役ニ罷出候もの之儀、若手向いたし候もの有之節は、打捨候程を心懸ケ無之候而は不相成候間、村役人亦は身元ケ成百姓之内当主ニ不限、忰次三男等右心掛有之、行状宜敷釼銃芸術修業相嗜度者御撰出可申事
一下役之内世話役ニ罷出候者は、大小惣代并事馴候村役人ニ而勘定向又は筆記等いたし候者之方可然事
一小前強壮之者は是迄之名前ニ不抱、人物見立大小惣代并村〻異存無之もの可差出、尤新規ニ罷出候ものは改而可申立事
右之通相心得修業名前兼而不申立ものは、一切武芸不相成儀与弁へ可申事
辰閏四月廿二日八条村田中や藤左衛門方へ領内参会請印参候、 大小惣代之内壱人宛、
壱番 青柳 嘉左衛門 弐番 大瀬 平蔵
三番 中番場 宗兵衛 四番 伊原 七郎兵衛
五番 鶴曾根 春太郎 六番 川崎 平四郎
七番 瓦曾根 新六 八番 柿木 浅右衛門
九番 蒲生 弥三郎 拾番 西方 吉太郎
稽古人 壱番西方村・青柳村 弐番東方村・川崎村
三番柿木村・鶴曾根村 四番八条村・蒲生村
△青柳嘉左衛門忰藤三、西方吉太郎忰重吉名代ニ出候積リ、此閏四月廿四日△名主七郎右衛門ニ成候、
東方村
稽古人 百姓 徳次郎
堡障
編伍五人ツゝ組合せ其内壱人組頭
合図
堡衆鎗銃を持せ
粮米ヲ焚もの 一日一人六合、塩十人ニ壱合
味そ弐合
八ヶ村ニ而一小隊 弐組ニ分ケ内拾人替合
閏四月十六日 丁内草加楼 兵五郎弐百文
八条田中や藤左衛門方八百文
近頃悪徒徘徊民間を苦候趣相聞不済之事ニ候、取締方厳重可取計候得共、即今之所右様之者共徘徊致候ハゝ郷村申合召捕方取計、手ニ余候ハゝ銘〻竹鎗等ヲ以打殺突殺候茂不苦候、事柄ニゟ候而は褒美可遣もの也、
辰八月 巡察使 執事 御判
別紙之趣至急之事故、其藩其県之支配所江も一同相達候間、心遺失有之間敷候もの也、
右之趣支配頭江可申立候事
辰八月 巡察使 執事 御判
埼玉郡一郡
村〻 名主
年寄 中
百姓代
□【差カ】上申御請書之事
道案内
伊勢野 与兵衛
蒲生村 福次郎
八条村 紋蔵
大瀬村 長五郎
今般道案内者共右之名前之通取極メ候上は、寄場八条村外三十四ヶ村役人共始メ小前者共一同、御時節柄相弁難有相心得、且給金諸入用共村毎ニ差支無之出金仕、乍恐御用之節は何時成共大惣代共被仰付、其時〻道案内者共召連可差出候様可仕候、依之御請印形差上申所如件、
慶応四辰年九月 八条領八条村寄場三十四ヶ村
八条村与兵衛代
次兵衛
西方村名主大惣代
吉太郎
蒲生村同
弥三郎
瓦曾根村小惣代
五郎左衛門
巡察使御探索方
片山琢郎様
道案内与兵衛・福次郎・紋蔵・長五郎
金八拾両也、惣高割ヲ以相渡申候、