一八一 慶応四年九月 寄場道案内人議定

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(市史編さん室蔵)

  一札之事

             伊勢野村 与兵衛

             蒲生村  福太郎

             八条村  紋蔵

             大瀬村  長五郎

右は私共義今般寄場并両宿組合村〻相談之上、道案内人ニ被差出候ニ付而は、別段其御筋ゟ被 仰渡候義も有之、殊ニ我〻共ニおゐても壱ヶ年壱人ニ付、為給金弐拾両宛御渡被成、慥ニ請取候上は御用情勤可申候、依之一札入置申処如件、

  慶応四辰年九月        与兵衛

                 福太郎

                 紋蔵

                 長五郎

    八条領八条村

     外三拾四ヶ村

      御役人中

  一札之事

 一金八拾両      道案内人 与兵衛

                 福太郎

                 紋蔵

                 長五郎

右は今般当組合村〻人撰之上、道案内役ニ申付候ニ付而は、右四人之もの共江為給料書面之金子組合村〻惣高割ヲ以相渡候処相違無之候、然ル上は拙者共ニ而取締方致し引請、正路ニ御用為相勤可申候、依之一札如件、

  慶応四辰年九月    八条村

               [名主/大惣代] 宗兵衛

             西方村

               [同/同]    吉太郎

    組合村〻 役人中

   議定一札之事

 一金拾五両 外ニ金五両仕度金 道案内 与兵衛

 一金拾両  同 同断 同       福太郎

 一金拾両  同 同  同       紋蔵

 一金拾両也 同 同  同       長五郎

 外ニ手替りとして仕度金 一金五両   粂次郎

右は今般当組合村〻人撰之上、道案内役ニ申付候ニ付而は、右四人之もの共江為給料支度金書面之通リ、外ニ出勤一日壱人金三朱ツゝ、組合村〻惣高割ヲ以聊無差支出金相渡可申筈、当辰壱ヶ年限リ取極候上は寄場役人大小惣代立会取調、猥ニ不相成様取締方可致候、依之当組合村〻議定連印致置候処如件、

外ニ万一出勤先ニおゐて怪我等も有之候ハゝ、村〻相談之上夫〻手当可致候事

            八条村村〻三判

  差上申御請之事

          伊勢野村 道案内 与兵衛

          蒲生村  同   福太郎

          八条村  同   紋蔵

          大瀬村  同   長五郎

今般道案内之もの右名前之通リ取極候上は、寄場八条村外三拾四ヶ村役人共始、小前之もの共一同御時節柄相弁難有相心得、且給金諸入用共村毎聊差支無之出金仕、乍恐御用之節は何時成共大惣代共被 仰付、其時〻道案内之もの共召連可被出候様可仕候、依之御請印形奉差上候所如件、

          八条領村〻

           右三拾五村惣代

             寄場八条村大惣代

             名主宗兵衛他行ニ付

                年寄  次郎兵衛

           西方村  大惣代 吉太郎

           蒲生村  同   弥三郎

           瓦曾根村 小惣代 五郎右衛門

 巡察使探索方

   片山琢郎様