(『旧記五』市史編さん室蔵)
覚
此間廻状を以相達候通、近年米直段下直ニ候処諸色直段は高直ニ付、米穀を元として可売出分酒酢醬油其外之諸色直段格別引下ケ、何程之直段何程ニ引下ケ候と申儀品〻取調可申出、問屋仲売等は勿論小売等いたし候もの共迄不洩様相達、正路ニ売出し毛頭不束之儀無之様可致、此上御触之趣不用歟如何様之取計いたし候もの於有之ハ、直〻呼出し可遂吟味候条可得其意候、勿論問屋仲売共他支配他領之ものニ而、元仕入直段引下ヶ不申不届之取計いたし候もの有之候ハゝ、是又早〻申立後難無之様可取計もの也、
卯七月十九日 吉 次郎右衛門
猶又本文之渡世いたし候もの内〻押包罷有直段引下ヶ等不申出、外ゟ相知レ候上は村役人親類組合之もの迄急度可申付条聊心得違無之、不洩様軒別ニ取調正路ニ勘定いたし早〻直段引下ヶ之儀可申立、且百姓斗にて諸色商ひ不致村方は其村〻申合、惣代を以其段可申出候、以上
西方村
外拾三ヶ村〻
乍恐以書付奉申上候
此度米直段下直ニ付、諸色直段引下ヶ之儀被仰付奉畏、左ニ中直段を以引下ヶ奉申上候、
一中酒壱升ニ付 弐百弐拾四文
元直段壱升ニ付弐百五十文
一中酢壱升ニ付 銭七拾弐文
元直段壱升ニ付八拾文
一中醬油壱升ニ付銭百拾弐文
元直段壱升ニ付百廿四文
一水油壱升ニ付 銭三百三拾弐文
元直段三百六拾四文
一塩壱升ニ付 銭弐拾弐文
元直段壱升ニ付廿四文
一豆腐壱丁ニ付 銭弐拾六文
元直段壱丁ニ付弐拾八文
一半紙壱状ニ付 銭弐拾四文
元直段壱帖ニ付弐拾六文
一草履壱足ニ付 銭弐拾弐文
元直段壱足ニ付廿四文
一わらし壱足ニ付 銭拾四文
元直段壱足ニ付拾六文
此外諸色右ニ准し直段引下ヶ可申候、
右之通リ直段下ヶ奉申上候処相違無御座候、已上
埼玉郡
増林村 増森村 大吉村 川崎村 大杉村
舟渡村 大泊村 備後村 平方村 西方村
〆拾ヶ村商人名前連印
右は今般米直段下直ニ付、諸色直段引下ケ之儀被仰付候ニ付、前書之通商人共江申聞直段引下ヶ奉申上候、尤此外諸色之義は近村并隣宿ニ而相調申候、勿論酒造人并酢醬油造出候もの壱人も無之候間、右品江戸ニ而仕入候儀ニ御座候処相違無御座候、已上
文政二卯年八月 埼玉郡右拾ヶ村
名主 連印
年寄 連印
百姓代 連印
西方村名主 吉蔵
組頭 七郎右衛門
百姓代 幸吉
吉岡次郎右衛門様
御役所
覚 西方村ニ而書出候商人名前
一小売醬油紙そふり 孫助
一小売そふりわらし 源七
一小売水油 又四郎
一小売塩わらし 新蔵
一小売酒 友吉
一菓子 五兵衛
一菓子 元七
一小売洒とふふ 惣七
一小売酒酢醬油紙 久兵衛
一小売酒そふり 源兵衛
一小売酒 甚八
一小売酒 礒八
一菓子 金蔵
一菓子 善太郎
一材木 勝右衛門
一菓子 幸右衛門
一豆腐 五郎七
一菓子 佐右衛門
右之通リ相違無御座候、已上
右之通諸色直段引下ヶ被仰出候二付、江戸町二御書出辻〻江出候ニ付、一統諸色引下ヶ壱膳飯・そは・うとん二七ニ売出し、江戸宿飯料代壱匁八分其外向〻引下ヶ、在方茂右二准シ諸職人作料日雇賃等迄村〻取極議定等仕候事共ニ御座候、
一東西葛西領ゟ八条領・二郷半領・淵江領・谷古田領辺江相談およひ候ハ、江戸向下肥直段引下ヶ相願度候ニ付、願書加印致呉候様、尤願之通被仰付候上は川〻其筋江会所建置候而急度取締宜敷、百姓方勝手ニ相成候様可仕旨申越し候得共、八条領は村〻一統不仕、万一諸入用等相懸リ候共村方小前ニ不同有之由、右等之処不行届相断置候、
一東西葛西ゟ江戸表相手取、下肥直段引下ヶ致度旨願書夫〻御吟味奉請候処、来三月迄右直段引下ヶ可遣旨御奉行所ニおゐて被仰付候由、其節もつはら風聞ニ御座候得は、永末之儀ニ不相成事ニ而、葛西辺ゟ立肥ニ取極メ致候者共ハ却而年来取引致居候処、得意之気請悪敷相成、辰三月後ゟ直段高直ニ在〻ゟせり合、猶更其後は近在之不勝手難儀ニ相成候由承リ伝候、然ルは諸事右等之処深く考弁可有之事ニ覚候、