(『諸願訴届書』東方中村家蔵)
差上申田方植付証文之事
村高千廿九石七斗弐升六合
一合反別八拾七町四反六畝七歩
内九畝拾三歩 堀敷ニ而植付不相成分
内 訳
田反別三畝廿七歩 山本大膳支配内不残植付申候、
田反別八拾七町四反弐畝拾歩 松平下総守領分
内[反別八拾七町三反弐畝廿七歩 植付候分/反別九畝拾三歩 堀敷ニ而植付不相成分]
右は葛西用水路八条領三拾五ヶ村組合私共村方、当夏田方之儀苗代時節ゟ用水丈夫二御仕掛被下、四月十五日ゟ取懸リ同月晦日迄ニ不残所植付相済、大小百姓一同難有仕合奉存候、依之植付証文差上申所如件、
天保七申年五月十二日 武州埼玉郡東方村
名主 千之助(印)
組頭 【ママ】
百姓代 清助
用水御掛リ
御役人中様