一九六 天保七年五月 田方植付証文

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(『諸願訴届書』東方中村家蔵)

  差上申田方植付証文之事

村高千廿九石七斗弐升六合

一合反別八拾七町四反六畝七歩

      内九畝拾三歩 堀敷ニ而植付不相成分

  内 訳

 田反別三畝廿七歩 山本大膳支配内不残植付申候、

 田反別八拾七町四反弐畝拾歩 松平下総守領分

   内[反別八拾七町三反弐畝廿七歩 植付候分/反別九畝拾三歩  堀敷ニ而植付不相成分]

右は葛西用水路八条領三拾五ヶ村組合私共村方、当夏田方之儀苗代時節ゟ用水丈夫二御仕掛被下、四月十五日ゟ取懸リ同月晦日迄ニ不残所植付相済、大小百姓一同難有仕合奉存候、依之植付証文差上申所如件、

 天保七申年五月十二日 武州埼玉郡東方村

             名主  千之助(印)

             組頭     【ママ】

             百姓代 清助

 用水御掛リ

   御役人中様