二二〇 宝永八年二月 質地証文

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(七左衛門井出家蔵)

  質物ニ相渡シ申田地証文之事

 上田四反三畝拾四歩   上畠三反廿六歩

 中田六反七畝廿九歩   中畠三畝拾壱歩

 下田壱町七反七畝廿三歩 下畠壱反三畝四歩

 下〻田壱反七畝弐歩   屋敷壱反壱畝廿三歩

  田畠屋敷合三町六反五畝拾弐歩

   此石高   【空白ママ】

是は亥御検地ニ大間野御水帳之表ニ太兵衛名所付候田地壱歩之所も不残、此外地尻地先井堀差柳置木等右田地へ付来候分何ニ而も不残、

右之田地先規ハ七左衛門村八郎兵衛と申者所持仕来リ候、六年以前戌之年ゟ忠右衛門方へ相渡リ、只今迄忠右衛門所持致候、右田地此度名主五人組諸親類相談之上、八郎兵衛方ゟ田地相渡リ候証文ニ墨引致差添、貴殿へ質物ニ相渡金子六百両加判之者立合慥ニ請取申所実正也、此田地ニ付何方ゟ茂構申者無御座候、若六ケ敷義申者御座候ハゝ加判之者何方迄茂罷出申分ケ仕、貴殿へ御苦労ニ少茂懸ケ申間敷候、年季之義ハ卯ノ二月ゟ同十一月迄壱年季ニ相定申候、卯ノ十一月本金六百両相済可申候間、しち物田地書入候分不残御返し可被成候、若其節請返シ不申候ハゝ右田地なかし申候間、御手前へ御所持被成候共又ハ何方へ成共金子過分之質物ニ御渡シ被成候共、地主ハ不及申誰人ニ而も申分無御座候、其時分名主五人組立合無相違致加判しち物ニ御渡候様ニ可仕候事

一御年貢之義ハ御 公儀様ゟ被仰付候通、郷中小割次第御皆済可被成候、御役之義ハ郷中並ニ諸役出銭等右田地ヘ掛リ候分御勤可被成候事

一此田地ニ付夫食御拝借米金壱分壱銭も無御座候、勿論借金質物書入等一切不仕候事

右之通相定質物ニ相渡申上ハ少茂相違無御座候、為其加判之証文相渡申候、為後日仍而如件、

  宝永八年卯二月     大間野村

               地主  忠右衛門(印)

               親類  孫七(印)

               同   伊右衛門(印)

               三人組 利兵衛(印)

               同   権兵衛(印)

               同   徳右衛門(印)

               名主  善兵衛(印)

               同   弥兵衛(印)

               同   四郎左衛門(印)

             【宛名切取欠】