二三四 文化十二年三月 貸附金拝借証文

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(「砂原松沢家文書」市史編さん室蔵)

【表紙】

 「 文化十二年      武州埼玉郡

  御貸附金拝借証文写

    亥三月        砂原村

               後谷村 」

   差上申拝借証文之事

 一金四百両也    但年壱割弐分利足

右ハ御貸附金書面之通り拝借仕候処実正ニ御座候、上納之儀ハ当亥十二月十五日限元利共急度上納可仕候、若相滞候ハゝ別紙為質地差上置候証文之地所御取上御払可被仰付候、其節御払代金ニ而金子不足仕候ハゝ加判之者共は勿論、村弁納仕聊無滞上納可仕候、御用金之儀ニ付期月之内ニ御座候共、御用之節ハ何時ニ而も被仰付次第元利金上納可仕候、其節水旱損何様之凶年ニ御座候共御願ヶ間鋪儀申上間鋪候、仍拝借証文差上申所如件、

           米倉丹後守領分

            武州埼玉郡砂原村

  文化十二亥年三月   拝借人百姓 辰之進

                親類 儀右衛門

             証人百姓代 藤左衛門

                組頭 政右衛門

                名主 福蔵

  吉川永左衛門様

      御役所

前書之通り相違無御座候、若相滞候ハゝ丹後守方ニ而引受元利金共早速相納、聊御用御差支ニ不相成様急度取計可申候、為其奥印仕候、以上

          米倉丹後守内

             郡方 中沢楽太夫

             同  小安五郎右衛門

             [元〆/用人] 根岸弥兵衛

             同  恒岡弥平太

前書之通相違無御座候、以上

          米倉丹後守

             家老 織田又兵衛

                関根権平

  差上申質地証文之事

          武州埼玉郡 砂原村

一村高六百七拾八石四斗六升六合

  物成[米弐百六石六合/永三拾貫四百八拾五文六分]

  家数 七拾軒  人数 三百八拾三人

是ハ江戸ゟ日光道中へ掛り道法七里、最寄越ヶ谷宿江壱里、岩槻御城下江二里御座候、

字新右衛門前      御水帳面弥右衛門

一上田 壱反八畝弐拾弐歩      当時持主  辰之進

一上田 壱反弐畝拾五歩  右同断 将監     同入

字六反田

一上田 壱反六畝歩    右同断 図書     同人

一上田 三反四畝弐拾八歩 右同断 茂右衛門   同人

一上田 弐反四畝拾五歩  右同断 太郎左衛門  同人

一上田 弐反七畝弐拾三歩 右同断 茂右衛門   同人

一上田 壱反四畝拾四歩  右同断 図書     同人

一上田 弐反壱畝拾八歩  右同断 茂右衛門   同人

一上田 三反八畝歩    右同断 同人     同人

新右衛門前

一上田 壱反三畝四歩   右同断 新蔵     同人

一上田 三反五畝弐拾三歩 右同断 長左衛門   同人

中道内

一上田 弐反弐畝拾三歩  右同断 藤右衛門   同人

一上田 弐反三畝弐拾四歩 右同断 源右衛門   同人

一上田 壱反壱畝六歩   右同断 惣右術門   同人

一上田 弐反四畝九歩   右同断 玄蕃     同人

一上田 壱反六畝歩    右同断 惣右衛門   同人

一上田 三反四畝拾弐歩  右同断 藤右衛門   同人

三郎右衛門前

一中田 弐反四畝拾五歩  右同断 茂右衛門   同人

一中田 壱反七畝八歩   右同断 三郎右衛門  同人

字新右衛門前

一中田 壱反七畝拾四歩  右同断 [ ]【虫喰】 同人

一中田 弐反壱畝拾弐歩  右同断 惣右衛門   同人

一中田 壱反壱畝弐拾七歩 右同断 七左衛門   同人

一中田 壱反八畝拾壱歩  右同断 内蔵助    同人

一中田 壱反三畝九歩   右同断 久左衛門   同人

字細打場

一中田 壱反壱畝弐拾弐歩 右同断 うたの助   同人

一中田 壱反三畝七歩   右同断 善右衛門   同人

一中田 壱反弐畝弐拾三歩 右同断 里右衛門   同人

一中田 弐反七畝拾七歩  右同断 長左衛門   同人

沼はた

一下田 弐反弐畝四歩   右同断 平右衛門   同人

一下田 弐反拾六歩    右同断 六右衛門   同人

一下田 壱反八畝歩    右同断 四郎右衛門  同人

  右寄

 田合六町弐反壱歩    但[水旱損之場所/荒地無御座候、]

  此代金四百弐両永九百三拾六文

  内訳

上田三町六反九畝弐拾六歩 但[壱反ニ付/金七両]

 此代金弐百五拾八両 永九百六文

中田壱町八反九畝拾五歩  但[壱反ニ付/金六両]

 此代金百拾三両 永七百文

下田六反弐拾歩      但[壱反ニ付/金五両]

 此代金三拾両 永三百三拾文

  右寄

 合拾弐町九反弐畝拾五歩

  代金八百五両弐分 永百八拾文

右ハ私共儀御貸附金拝借仕候ニ付、右為質地書面之地所差上申所相違無御座候、尤外御貸附金拝借仕質地書出候儀ハ勿論、書入地等ニ仕候儀決而無御座候、此以後質地之内変地等仕候ハゝ早速御訴申上地所引替可申候、仍而質地証文差上申所如件、

  文化十二亥年三月  米倉丹後守領分

             武州埼玉郡砂原村

                   名前

             同郡後谷村 名前

 吉川永左衛門様

      御役所

            御領分

  文化十二亥三月    武州埼玉郡砂原村

              拝借人 辰之進

              親類  儀右衛門

              証人  又右衛門

              百姓代 藤左衛門

              組頭  政右衛門

              名主  福蔵

 吉川永左衛門様

    御役所

前書之通相違無御座候、以上

          米倉丹後守内

  亥三月       郡方 中沢楽太夫

            同  小安五郎左衛門

            [元〆/用人] 根岸弥丘衛

            同  恒岡弥平太

前書之通相違無御座候、以上

          米倉丹後守

            家老 織田又兵衛

            同  関根権平

前書御証文ニ当八月八日出府いたし、同月十八日帰村いたし候、

右四百両之内砂原後谷両村ニて二百両拝借仕候ニ付、右証文可差出所御神忌御用ニ付八月迄御日延ニ相成、八月中御証文ニ而罷出候、