(登戸関根家蔵)
入置申地借証文之事
一切揚畑 壱枚
一田数 三枚
此小作金壱両三分永六拾文
右は貴殿所持被成候田地、書面之畑借地いたし田方之義も小作仕度、我等勝手を以貴殿江相願候所御承知被下、則借地いたし住居仕候所実正也、然ル上は右小作御年貢金書面之通壱ヶ年金壱両三分永六拾文、年〻十一月中貴殿江無遅滞相済可申候、万一差滞候ハゝ受人引受弁済いたし、貴殿江少も御損懸申間敷候、尤田方之義は米ニ而相済可申所我等勝手を以金済ニ相願候所相違無御座候、勿論如何様之義出来いたし候共貴殿江少も御苦労懸申間敷候、殊ニ右地所ニ植付有之候木品我等方ニ而伐取申間敷候、貴殿御入用之節は何時成共御伐取可被成候、勿論我等義貴殿御気ニ入不申候歟、地面御入用之節は、三日之内立退右地所貴殿江相返し可申候事
一御 公儀様御法度は不及申ニ、村並之義何ニ而も相背申間敷候、尤人受口入人宿博奕諸勝負之宿、喧𠵅口論かさつヶ間敷儀堅仕間敷候、勿論年〻五人組帳御文言ニ有之候通り、何方江罷出候共貴殿江其段相達罷出可申候、尤罷帰候節是又貴殿江相届ケ可申候、且又新【親】類たりといふ共中絶出入無之ものニ通路為致申間敷候事
一宗旨之義は代〻浄上宗ニ而当村報土院旦那ニ紛無御座候、寺受状御用次第ニ為進可申候、為後日仍而如件、
天保九戌年正月 登戸村
地借人 弁右衛門(印)
同村
受人 甚右衛門(印)
同村
三郎兵衛殿