二五五 延宝八年十二月 袋山村外四ヵ村新川堀替願

510~511/1009ページ

原本の該当ページを見る

(「袋山細沼家文書」明治大学蔵)

  乍恐口上書を以御訴訟申上候御事

一武蔵国越ヶ谷領袋山村之儀ハ、地くぼ之場ニ而殊ニ荒川取巻、其上先年御上水之ため八条領瓦曾根村之内荒川石堰ニ罷成候故、少之水気之時分も袋山村へ荒川水込上、剰当方ゟ秋迄之永雨故袋山村之儀ハ別而水所仕候、尤川通リ之村〻も水所仕作物手かけ不申、別而困窮仕候事

一此以前荻嶋村耕地之内落堀当リ申所ニ彼村土屋相模守様へ御知行ニ相渡リ申候以後、荻嶋村ゟ落堀築留申候故水落可申様無御座候御事

一荒川筋曲申候故満水之時分袋山村も水たゝへ落兼申候ニ付、御代官様へ新川堀替之儀御訴訟申上候ヘハ未ノ十月九日ニ杉浦内蔵助様ニて御内寄合之時分罷出、願之通委細申上候様ニと被仰付候間罷出、百姓めいわく之段〻申上候、就夫御代官様ゟ為御検使新井孫八殿・川野十郎右衛門殿御出被成、新川堀替之場所御見分被成候御事

右之通堀替御普請急速ニ被為仰付被下候ヘハ、袋山村之儀ハ不及申上川通之村〻介リ可申と難有奉存候、偏ニ奉願候、以上

延宝八申年十二月   越ヶ谷領袋山村

               名主 吉左衛門(印)

               同  市郎右衛門(印)

               組頭 権左衛門(印)

               同  五郎兵衛(印)

             岩付領忍間村

                  新右衛門(印)

                  源左衛門(印)

                  八兵衛(印)

             同領大竹村

               名主 市郎右衛門(印)

                  長左衛門(印)

                  善兵衛(印)

             新方領上間久里村

               名主 源左衛門(印)

               同  五郎左衛門(印)

               組頭 太郎右衛門(印)

             同領下間久里村

               名主 長助(印)

               同  清大夫(印)

               組頭 新右衛門(印)

御巡見様