二六八 享保十四年三月 埼玉郡内等諸川差配申渡

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(『触書中』市史編さん室蔵)

武蔵国埼玉郡  八条領村数三拾五ヶ村

同国 同郡   淵江領村数拾六ヶ村

同国 足立郡  谷小田領五ヶ村

右ハ武蔵埼玉郡同国足立郡村〻川又葛西用水組合御料私領御普請、并用水懸引共只今迄水方役之者相勤候場所、為奉行去年嶋田平助・清水久之丞・鈴忠右衛門・蓬田左太夫被仰付候間、当酉年ゟ人足并百姓役可出品〻、差図次第出之急度可相勤之候、右四人并大川通御普請役之もの下役共〻御用ニ付、村〻江罷越候節村役人馬可出之候、此書付村次ニ相廻し留リ村ゟ右四人之内江可相返者也、

 享保十四年酉年三月 弥惣兵衛(印)

           弥三(印)

           武右(印)

   公事【ママ】無印形 六郎左(印)

   同断    弥太

         源左(印)

   公事方無印形 下野

   同断    大和

         幡摩(印)

         肥後(印)

           右村〻

右之通従御勘定所御触書出候ニ付、本書ハ我等方ニ留置写相廻し候之間可得其意候、此廻状村下ニ名主致印形村順能様ニ無滞相廻し、留リ村ゟ我等共江戸役所江可相返者也、

  酉三月     遠方無加印 蓬左太夫

                鈴忠左衛門

                清久之丞

                嶋平助

                 右村〻 名主

                 組頭

追而村〻外ニ洩候村方も有之候ハゝ、追而可申遣候、以上