(『触書中』市史編さん室蔵)
武蔵国埼玉郡 八条領村数三拾五ヶ村
同国 同郡 淵江領村数拾六ヶ村
同国 足立郡 谷小田領五ヶ村
右ハ武蔵埼玉郡同国足立郡村〻川又葛西用水組合御料私領御普請、并用水懸引共只今迄水方役之者相勤候場所、為奉行去年嶋田平助・清水久之丞・鈴忠右衛門・蓬田左太夫被仰付候間、当酉年ゟ人足并百姓役可出品〻、差図次第出之急度可相勤之候、右四人并大川通御普請役之もの下役共〻御用ニ付、村〻江罷越候節村役人馬可出之候、此書付村次ニ相廻し留リ村ゟ右四人之内江可相返者也、
享保十四年酉年三月 弥惣兵衛(印)
弥三(印)
武右(印)
公事【ママ】無印形 六郎左(印)
同断 弥太
源左(印)
公事方無印形 下野
同断 大和
幡摩(印)
肥後(印)
右村〻
右之通従御勘定所御触書出候ニ付、本書ハ我等方ニ留置写相廻し候之間可得其意候、此廻状村下ニ名主致印形村順能様ニ無滞相廻し、留リ村ゟ我等共江戸役所江可相返者也、
酉三月 遠方無加印 蓬左太夫
鈴忠左衛門
清久之丞
嶋平助
右村〻 名主
組頭
追而村〻外ニ洩候村方も有之候ハゝ、追而可申遣候、以上