(「砂原松沢家文書」市史編さん室蔵)
乍恐以書付御訴訟申上候事
武州埼玉郡荻嶋村
大河内孫太郎知行所
名主 重郎右衛門
天野彦兵衛知行所同村
名主 部治右衛門
芝山主殿知行所小曾川村
名主 源八
武蔵孫之丞知行所同村
名主 治郎兵衛
永井伊賀守様御知行所
武州岩付領西新井村
新堰出入 名主 源蔵
同 藤蔵
相手 年寄 徳右衛門
同 治部右衛門
惣百姓
一武州越ヶ谷領村〻申上候ハ、同領荻嶋村沼向耕地之義ハ村〻入会耕地ニ御座候処ニ、右耕地中ニ悪水落堀有之候、右之堀古来ゟ悪水落シ来リ候処ニ、岩付領西新井村ニ而新堰を仕立常築ニ致悪水流シ不申候ニ付、村〻耕地水所場ニ罷成大勢之百姓難儀仕候、依之新堰切払候様ニと度〻申候得共、切払不申候ニ付無是悲御訴訟申上候、殊ニ岩付領難儀之村〻御座候得共、西新井村御同領故御願相除キ罷有候、尤西新井村ニ而ハ悪水請候儀ハ無御座候所ニ、右落堀江常堰致置申候段不届キ至極ニ奉存候、右耕地悪水落兼申候故右之場所不作仕、御年貢等も出来兼御地頭方江御訴訟申上候得ハ、相応ニ御用捨被下候得共、百姓手前ニ而ハ大分之損毛ニ御座候、右新堰切払候様ニ被為 仰付可被下候、外ニ悪水落堀無御座候、尤悪水堀幅前後之儀ハ九尺程相見江申候得共、西新井村屋敷附之義ハ殊之外狭リ三尺程御座候、右堀幅九尺程ニ而茂悪水落兼申候処ニ右之通リ常堰致置候得ハ、落水一切落不申候而村〻水所仕迷惑ニ奉存候、尤悪水落堀末之儀ハ、新川与申大河江落申候得ハ、西新井村之難儀ニハ成不申処ニ、常築ニ致置候得は右耕地溜井之様ニ罷成申候、用水之儀ハ岩付領末田村溜井ゟ村〻組合ニ而引取申処ニ、西新井村ニ而ハ悪水堀ニ新堰仕用水引申候、左候得は西新井村斗勝手を仕右村〻大勢之百姓難儀仕候、依之無是悲御訴訟申上候、御慈悲ニ西新井村被為御召出、御吟味之上右新堰切払候様ニ被為 仰付被下候は難有可奉存候、委細之義ハ御尋之上口上ニ而可申上候、以上
武州埼玉郡荻嶋村
享保弐拾壱年辰三月 名主 重郎右衛門
年寄 三左衛門
同郡同領同村
名主 部治右衛門
年寄 平右衛門
同郡同領同村
名主 喜兵衛
年寄 喜右衛門
同郡同領小曾川村
名主 源八
年寄 茂右衛門
同郡同領同村
名主 治郎兵衛
年寄 庄左衛門
同郡同領同村
名主 兵左衛門
年寄 新蔵
御奉行所様