(市史編さん室蔵)
乍恐以書付を奉願上候
一元荒川附八条領・新方領村〻御願申上候は、瓦曾根村溜井之内江水上村〻ゟ御願申上、弐拾ヶ年以前筧幡摩守様并伊【井】沢弥惣兵衛様御吟味之上、堰枠弐ヶ所右溜井之内へ御伏被遊候、其節水下村〻難儀之筋有之候ハゝ願出候様ニと被 仰渡候付、拙者共儀前〻ゟ奉願上候、先年大地震以来川床埋リ左右ゟ畑ゆり出シ悪水湛難儀仕候、其上右溜井之内へ堰枠弐ヶ所御伏被遊候付、水下村〻猶〻悪水指支迷惑仕候間、溜井石堰下ゟ川通浚御普請御願申上候得は、其以後ニ罷成川口弐拾五間通葭真菰御苅捨被為 遊被下置候得共、年来川床埋候付悪水落兼申候、猶又当秋大水ニ付別而川通埋候付、川幅弐拾五間深サ五尺御浚被下候様ニ先達而願書指上候得は、新願之儀取上不申由被仰渡則願書御返し被遊候得共 前〻ゟ筧幡摩守様・伊沢弥惣兵衛様へ願上候川浚之儀ニ御座候間、恐多ク奉存候得共拙者共再応奉願上候は、古利根川御吟味之上浚被 遊被下候ハゝ、元荒川之儀も御浚成被下候様ニ奉願上候、乍恐百姓自力ニ相叶不申難指置奉存候間、以御慈悲を右石堰下西方村ゟ南百村古利根川落合迄川道壱里程之所、川幅弐拾五間深サ五尺御救を以浚御普請成被下候ハゝ難有可奉存候、以上
右之通柴村藤右衛門様江再三願上候所ニ、御取上ケ茂無御座候ニ付、乍恐当御役所様御願申上候、此度大水ニ付所〻川〻御浚被下候御儀茂御座候ハゝ、元荒川之義茂一同ニ御浚被下候様ニ奉願上候、恐多ク奉存候得共当秋大水ニ付川通殊之外埋リ候ニ付、無是非御訴訟申上候、御吟味之上御救を以浚御普請被為 仰付被下候ハゝ水下領〻村〻相助リ難有可奉存候、以上
寛保弐戌年十一月 八条領西方村
伊奈半左衛門御代官所
名主 平内(印)
年寄 孫兵衛(印)
東方村
名主 七郎右衛門(印)
年寄 弥兵衛(印)
見田方村
名主 長左衛門(印)
年寄 惣兵衛(印)
南百村
名主 七郎兵衛(印)
年寄 与兵衛(印)
新方領小林村
名主 忠蔵(印)
年寄 左兵衛(印)
中嶋村
名主 才兵衛(印)
年寄 武兵衛(印)
増森村
名主 権左衛門(印)
年寄 源左衛門(印)
御役所