(「袋山細沼家文書」明治大学蔵)
指上ケ申済口証文之事
一辻源五郎御代官所武州埼玉郡袋山村 青山市左衛門御代官所同州同郡荻嶋村右両村ゟ 大岡出雲守様御領分同州同郡恩間村江相懸リ候ハ、当五月中恩間村地内水除土手先規御裁許水除土手強勢ニ切割候間、右場所切割不申候様出訴仕候所、御 評定所様ニ而被為 仰付候ハ、右論所之儀用悪水之儀ニ候間、何分ニ茂熟談可仕談【段カ】御 三方様江被仰渡候所、三宿共江右出入取扱熟談為致候様宿〻江被為 仰付、依之取扱ニ相懸リ候所恩間村申候ハ、右土手拙者共地内ニ而先〻ゟ大水之節ハ度〻切割水落候所、両村ゟ此度御裁許土手之由出訴仕候得共、全ク偽リニ御座候、先〻出入ニ罷成候御裁許土手之儀ハ堤所違ニ而、只今論所之儀ハ先〻ゟ切割候ニハ相違無御座候、両村ゟ切割候場所江指障リ可申候様御座有間敷段申之候所、三宿共右出入取扱熟談仕候内済之訳ケ左ニ奉申上候、
一恩間村地内水除土手此度切割候土手ゟ南方江八拾間目ニ、中土手ゟ東江七間相離レ田地形ゟ壱尺七寸五分下水相究、右之場所ゟ論所土手江壱尺七寸五分ヲ盛付ケ、内法五寸五分四方之埋樋致上水落シ候筈、且右之場所江埋樋内法下端ニ平均定杭立置、尤論所ゟ袋山村地内六拾間目ニ右同断控杭立置、猶又恩間村地蔵裏耕地古土手ヲ限リ余悪水一切落申間敷筈、両村江恩間村ゟ書付入置双方申分無御座候、偏ニ御威光ヲ以熟談之上内済仕候、為後証双方并扱入共連印仕済口御証文指上ケ申候、仍如件、
辻源五郎様御代官所
武州埼玉郡袋山村
宝暦七年丑十一月 名主 吉左衛門(印)
訴訟方 同 源蔵(印)
年寄 八郎左衛門(印)
青山市左衛門様御代官所
同州同郡荻嶋村
訴訟方 名主 長左衛門(印)
年寄 吉左衛門(印)
大岡出雲守様御領分
同州同郡恩間村
相手方 名主 領左衛門(印)
年寄 半兵衛(印)
芝[ ]
扱人 庄兵衛(印)
湯嶋六町目江戸宿
扱人 伝次郎(印)
両国吉川町江戸宿
扱入 利右衛門(印)