二八一 文化六年三月 綾瀬川七ヵ村組合議定

544/1009ページ

原本の該当ページを見る

(七左衛門井出家蔵)

【表紙】

「文化六巳年三月

  議定証文之事

     七左衛門村道下組

        [御料/私領]惣百姓」

    覚

一此度綾瀬川御入用御普請願上候処、願之通七ヶ村組合江被仰付候ニ付、浚出人足之義は惣百姓相談之上村中家別ニ而相勤、人足賃永無甲乙家別ニ割取候筈相究申候、尤諸入用之義も賃永請取候宿ニ而割合差出可申候、

 右之通リ惣百姓小前一同相談之上相極メ候上は、定式自普請之義は仕来之通リ相勤、臨時御入用御普請并自普請共ニ以来家別ニ而相勤可申候事

一蓮根仕付候田掘取候節は、境畔三尺除キ掘取候筈、是又惣百姓相談之上相究申候、且又御検見道往来并耕地境其外農業道、惣而破損不致様気ヲ付修覆可仕候事

右之通相談之上相極候上ハ相背申間敷候、仍之義定連印仕処為後日如件、

  文化六巳年三月        由兵衛(印)

                 (外二四名連印略)