(七左衛門井出家蔵)
入置申詑一札之事
先年ゟ角左衛門堀ゟ水引入之義は、御役人衆中御取計有之候処、当月三日夜右堀ゟ汲揚之義私共被申聞則汲揚候、外〻之もの共ゟ延刻ニ相成七ッ半過迄右場所ニ汲揚居候ニ付、大間野村ゟ汲揚候義相成不申趣被相断、是又御過言申上候、御立腹被遊候、左之詫人ヲ以種〻御詫言申入候御利解被仰聞承伏仕再応御詫人申候、右村御役人衆中ゟ両人汲揚之義断有之、翌四日小前之もの共咄合ニ而相待居候与申上候、両村御役人衆中御向合ニ相成候、是以一言申訳ケ無之種〻御歎キ入候、格別御勘弁ヲ以向後右堀ゟ汲揚候義御差図請可致候、依之御聞済被下難有仕合奉存候、為後日詫人一同加判一札入置申処如件、
嘉永六丑年七月 七左衛門村
源六(印)
組合 万右衛門(印)
詑人 八右衛門(印)
同 富右衛門(印)
御名主 門平殿
外御役人衆中