二九二 享保十一年六月 砂原村馬士傷害一件示談書

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(「砂原松沢家文書」市史編さん室蔵)

  指上申一札之事

一拙者共村之内百姓佐右衛門家来又八と申者、一昨十七日駄賃ニ罷出候所ニ 本多中務大輔様御中間惣太夫殿申仁、大沢町上宿ニて駄賃馬相対之節、馬士又八間違成義申上候由、依之惣太夫殿以之外打擲被成候ニ付、難義致候所ニ、早速所之問屋・年寄立合之上、医師衆ニ御掛ケ被為給忝奉存、依之我等共御地頭様江も右之段御訴可申上と存候所ニ、左候得は時分柄難義致候間内〻ニて相済シ、又八我等共方江引取申候、然所ニ又八方江為薬代金子壱両被下悉難有頂戴仕候上は、此義ニ付惣太夫殿方江対シ、重而如何様之義御座候共一切申分無御座候、為後日一札指上申候、仍如件、

 享保十一年    米倉丹後守様御知行所

   午ノ六月十九日  砂原村

            名主   源兵衛

            年寄   宇右衛門

            又八主人 佐右衛門

            同人親  又兵衛

            五人組  甚五右衛門

本多中務大輔様御内

   池田善四郎殿

   溝口太右衛門殿

右砂原村之者為念一札指上申候通り、拙者共早速立合申候所ニ相違無御座候、尤此義ニ付於当宿ニ重而何ニても申上候義一切無御座候、以上

  午ノ六月十九日   名主 弥兵衛

            年寄 太左衛門

            同  孫右衛門

 本田中務大輔様御内

    池田善四郎殿

    溝口太右衛門殿