二九八 安永五年十一月 助郷惣代出入済口証文

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(西新井新井省三家蔵)

【端裏書】

「御伝馬ニ付村〻惣代ニ而問屋場改立合之議ニ付、出入ニ罷出候節済囗証文」

  差上申済囗証文之事

一日光道中越谷宿助郷弐拾弐ヶ村之内、九ヶ村ゟ当八月中御願申上候当申年問屋場立会惣代、小林村茂左衛門、大房村弥五左衛門、并同助郷拾三ヶ村江相懸り候助郷惣代出入之儀、大技村六右衛門并江戸両宿取扱内済為仕度御吟味御日延奉願上候処、願之通御日延被成下難有奉存候、依之取扱を以双方熟談之上、左之通内済仕候、

一去未年ゟ助郷弐拾弐ヶ村一同相談之上、惣代弐人宛ニ相極、給金差出し定惣代相定候処、当申年之儀未年ゟ給金相増困窮之百姓難儀ニ付、定惣代相止メ村〻廻り惣代ニ仕度惣代之者へ懸り合候処、得心不仕旨訴訟方申上之、相手惣代之者并助郷弐拾弐ヶ村之内、拾三ヶ村ゟ申上候は宿詰定惣代之儀ハ弐拾弐ヶ村一同相談得心之上、勤方給金等之儀も規定仕則惣代之者江弐拾弐ヶ村連印之頼証文入置、村〻勝手を以惣代ニ相頼、殊ニ何ニ而も惣代勤方不埒之義茂無御座、勿論困窮ハ一同之儀御座候処、組合村〻江相談も不仕九ヶ村之者共抜出し御願申上候段難心得□【虫喰】答上、双方及争論候得とも右申争之義ハ扱人貰請、熟談之上問屋場立会惣代之義ハ、助郷弐拾弐ヶ村勝手を以去未年ゟ定惣代弐人宛相立、勿論規定証文致置候儀ニ付、当申年之義ハ規定之通小林村茂左衛門大房村弥五左衛門両人定惣代為相勤、尤扱人双方懸り合候処惣代両人之者助郷人馬取捌之義ニ付、是迄勤方不埒之儀茂無之双方申分無御座候、且来酉年問屋場立会惣代之義ハ向後村〻廻り役ニ致し、村〻割人弐三ヶ村宛組合月番廻り惣代ニ仕、問屋場江立会人馬遣イ方見届惣代相勤候筈ニ相極、尤勤方之儀ハ今般猶又別紙規定証文致置、勿論出来規定之通り相用違変不仕候筈ニ相□□【虫喰】、右之段宿方へも掛合是又得心之上出入内済仕、偏御威光難在仕合奉存候、然上は右一件ニ付重而御訴訟ヶ間敷義申上間敷候、為後証双方并扱人連印済口証文奉差上候処仍而如件、

 安永五年申十一月 武州埼玉郡大林村

             九ヶ村惣代

               名主  又右衛門

       同向畑村        弥兵衛

       同大里村        直右衛門

       同弥十郎村       市郎左衛門

       同七左衛門村      門平

               名主  嘉右衛門

       同同村     名主  善右衛門

       同 砂原村   同   喜兵衛

       同 神明下村  同   庄左衛門

       同 荻嶋村   年寄  久右衛門

       同 袋山村   名主  清次郎

       同 大房村   名主  弥五左衛門

       同 谷中村   名主代 政之丞

       同 花田村   名主  伊右衛門

       同 西新井村年 寄代  八郎左衛門

       同 上間久里村

          名主政右衛門代

               年寄  惣右衛門

       同 大枝村

               取扱人 六右衛門

               坂野屋 半七

               金屋  嘉兵衛

               坂野屋 平八

 道中

  御奉行様