(『往迷御用留』大沢福井家蔵)
乍恐以書付奉願上候
武州埼玉郡大沢町問屋年寄百姓代一同奉申上候、当宿問屋役之義是迄名主太郎兵衛兼帯相勤罷在候処、手廻り兼候間休役仕、跡問屋役之義ハ権右衛門方へ被為仰付被下置度一同奉願上候、右之趣格別之御慈悲を以両様共御聞済被成下置候得は、御用向無御差支相勤一同難有仕合奉存候、以上
当御支配所
埼玉郡大沢町
問屋願人 権右衛門
天明七未年十二月 同退役人 太郎兵衛
年寄 利八
同 弥平太
百姓代 善八
同 五郎左衛門
伊奈摂津守様
御役所
前書之通私共一同奉願上候ニ付、乍恐継書印形奉差上候、以上
未十二月 当御支配所
日光道中越谷宿
[問屋/名主] 文之介
同 大蔵
同 次左衛門
右之願書十二月十八日御月番杉浦五太夫殿江差上申候、同十九日朝於 御前願之通被 仰付候、御請書奉差上候、尤侍座秋元助右衛門殿・杉浦五太夫殿并土屋惣助殿・吉田三郎右衛門殿罷出、
差上申御請書之事
武州埼玉郡大沢町問屋役之義、是迄名主太郎兵衛方ニ而兼帯相勤罷在候処、手廻兼候間退役仕、跡問屋役之義権右衛門方へ被仰付度連印を以申上候処、願之通被仰付一同難有仕合奉存候、然上は往還御用請書物類不残引渡可申、且権右衛門方ニ而ハ以来御用向大切ニ出情可相勤旨、一同被 仰渡承知奉畏候、依之御請印形差上申処如件、
天明七未年十二月十九日 問屋 五右衛門
[同退/役人] 太郎兵衛
年寄 利八
百姓代 善八
伊奈摂津守様
御役所
右御役所附御用場頭取
右役成御礼 野村藤助殿
御長屋廻り 秋元助右衛門殿
一[金弐百疋/隅田川二升樽]御月番様 杉浦五太夫殿
一隅田川二升樽宛[御用人衆/四人様江] 石母弥一右衛門殿
建部勘右衛門殿
御書番
土屋宗助殿
一小筆捨状宛[御書留衆/八人様江] 青木文十郎殿
須藤三郎左衛門殿
一小筆捨状宛[御祐筆衆/八人様江] 大関文右衛門殿
〆 杉浦五郎右衛門殿
田中左右馬殿
高橋伝蔵殿
佐藤八郎殿
御祐筆
伊藤恒蔵殿
吉田三郎右衛門殿
櫛田幸四郎殿
中村惣兵衛殿
古川次郎右衛門殿
長谷川与市殿
麻川恭治殿
岡本惣左衛門殿
〆弐拾壱人
右往還御用掛并地方も
御検使御見分御立会向共
御勘定場頭取
一役儀御礼弘御長屋江廻り 豊嶋庄七殿
手札斗五軒 田中東兵衛殿
加藤次郎太夫殿
萩原猪左衛門殿
遠山要蔵殿
同所詰
尾瀬四郎兵衛殿
宮川伝右衛門殿
阿出川平左衛門殿
宇田川喜兵衛殿
会田仲殿
中村粂助殿
外弐人
御取立方頭取
松本藤八殿
石坂八郎太夫殿
同所詰四人程
地方頭取
夏目善太夫殿
入江孫太夫殿
同所詰南側之衆
御関所方御目付衆
志村太兵衛殿
大河内与右衛門殿
外御下役衆
御貸附方頭取
【ママ】
圦樋方頭取
【ママ】
闕所物方
【ママ】
御附家老
富田吉右衛門様
御年寄衆
永田半太夫様
大河内勘右衛門様
田口勘兵衛様
新井孫兵衛様