三〇〇 寛政二年七月 伝馬雇出し惣代証文

579~580/1009ページ

原本の該当ページを見る

(西新井新井省三家蔵)

  御伝馬雇出シ惣代証文之事

一日光道中越ヶ谷宿助郷埼玉郡西新井村年〻不順ニ付、御役人馬持絶問屋方ゟ触達通り出人馬無之ニ付、出人馬不足之分は惣代方ニ而雇人馬を以御役滞り無之様ニ仕度、先達而御奉行所様へ御訴奉申上候、御聞済之上出人馬不足雇出賃銭尚又出人馬相勤之者共人足壱人七拾弐文、馬壱疋百三拾四文宛ニ相極メ、此賃銭差引残候分は、雇出し賃銭惣代給として惣代方江相渡し候筈ニ相極メ申候、尤此分高壱石ニ付銭三百文出人馬勤代雇出し分ニ差出し筈、四拾八文ハ惣代給として壱石三百四拾八文壱ヶ年ニ差出筈、此勤人馬勘定差引之義は壱ヶ年ニ四度ニ相極、三月廿日・六月廿日・九月廿日・十二月廿日ニ急度勘定差引相定、残候分は何程ニ而も惣代へ相渡可申候、尤人馬詰刻之義は問屋方ゟ触当り通り罷出御用相勤可申候、若し人馬不参等有之候ハゝ、是又何分ニも御取計御用御差支ニ相成不申様何分ニも御取計可被下候、且又人馬面付帳御伝馬出候度毎ニ差出し、覚帳尚又御用相勤可申候、諸【カ】事ニ付村方出人馬之者惣代之差図次第ニ相勤可申候、少も差支ニ相成申間敷候、為後日惣代証文相渡し申所仍而如件、

 寛政弐年戌七月

               百姓 利助(印)

               同  与平次(印)

               同  茂右衛門(印)

               同  宇右衛門(印)

               同  清次郎(印)

                  【後欠】