(大沢福井家蔵)
取締儀定一札之事
一今般於 御支配御役所被 仰渡候御請書之趣堅相守、旅籠屋壱軒ニ付食売女弐人宛抱置候外過人数決而差置申間敷候、食売女共衣類木綿限り帯は絹紬迄は相用、櫛筓其外簮物類総而花麗ヶ間敷義不仕、芸者躰之もの為立入不申様仲間一同相互調合、万一心得違之もの有之候見聞次第宿役人中江申聞、取締請可申【カ】候、右ヲ見逃置候ハゝ同様落堵ニ御申立被成候共異儀申間敷候、
一食売女召抱又は暇差出候節は 御役所江其時〻ニ届申上、人別帳江相記紛敷義無之様可仕与被 仰渡之旨奉畏候、然ル上は食売女抱入之節は前広役人中江相達御聞済無之内は召抱申間敷候、尤抱入之上は役人中江奉公人召連年季請状御改請、年季明又は他所江差出候節は同様伺之上御役所様江御届之義相願申候、縦水仕下女他所ゟ抱入候節も紛敷儀無之様前条之趣取調請可申事、是迄旅籠屋渡世致食売女抱置他所江雇而已差遣右雇銭ヲ以今□【虫喰】営、家作手狭ニ候迚相当之金子差出、外旅籠屋御用宿仕切勤頼候ものも有之、平日は格別御宿相嵩候節は御差支相成、旁如何之義候間家作補理御宿差支無相勤、自分抱女弐人ニ而其家内為相賄可申候事
一今般旅籠屋共銘〻食売女弐人ツゝ相抱不苦趣被 仰渡一同難有御請仕候、然ル処女抱候義行届兼候者も有之候得共、一統御趣意相守度奉存候、女共抱兼候もの方ニ而も旅人止宿賄方手廻り候様可致筈ニ而、仲間内ニ而女共抱置届キ兼候者方江遣シ、抱給金之義夫〻年限相定メ入金相済候上は、女共身分不依何事元抱之方江も其往来為致候筈、然ル上は申合双方共女取締可致候事
一当宿之義は従前〻食売女抱置候旅籠屋ゟ、食売女不抱置旅籠屋雇差出来候ニ付、困窮之旅籠屋迄今日渡世取締来酒食其外商売之もの迄も自然調来候処、女共他江雇ニ不貸遺候而は為宿並食売女差置候詮無之候間、是迄之通外旅籠屋江雇差遣シ候節は貸可申候、勿論旅人多分相嵩候節は女共所〻ゟ雇差遣シ壱人ニ而両三軒ツゝ相勤候事共有之、深夜ニ及候而も往来致候処、殊更御武家様方御宿等之節は不取締之筋ニも有之候間、世間寝鎮リ候ハゝ往来為致申間敷候事
一旅籠屋軒数五拾八軒之内、家大小御用御人数御荷物等ニ依多少難相勤家作も有之、近来依御用之品相遁度勝手合申者も有之、御用宿当触差支相成候間以来は伊左衛門・所左衛門・喜兵衛・権右衛門・治左衛門江相当之給金相定、御用宿当触御取締為仕、無異義相勤可申候、若明番相当リ候節は差合等有之候ハゝ、相互ニ心取寄頼合致決而差支無之様可仕候、尤右五拾八軒之内上組与唱江五軒之もの共義御本陣手走之場所ニ而、重キ御方様御休泊不相成、然ル上は右上組ニ而は五軒之外決而親類旅籠屋相始メ候義は不相成筈、尤有来五軒は差操之差別ニ不拘相当之御宿行事役之もの共ゟ触当次方相勤可申候、且御用宿之義右行事五軒之者共ニ而日〻帳面記、旅人止宿之義旅人帳附年寄之者ニ而日〻宿帳記、壱ヶ月済候ハゝ行事方ゟ取調之上宿役人中江可差出候事
一御用宿之義旅籠屋五拾八軒之内、是迄宿並之ため食売女抱置候弥平太外廿壱人之もの共、壱ヶ年銭百五貫五百文ツゝ是迄年〻差出シ 御門主様御賄入用并地方入用仕払申候、其外廿弐人之者共ゟ関東御取締御出役様方御賄入用別段出来候得共、御休泊之数ニより出金増減有之員数不相定候、右両様出金之義以来は相改旅籠屋五拾八軒ニ而割合無滞出金可致候事
一宿内旅籠屋五拾八軒之外、此上旅寵屋相始メ度趣申出候ハゝ 御支配其時〻御伺之上御申付可被下候筈、尤是迄之通勝手儘家作致候ニ而、第一御鷹御用等相勤兼候ニ付、間口三間半間数八畳、四間以上は格別其以下は不相成様宿役人中ニ而御□〻可被下候事
前書儀定之趣一同堅相守可申候、然ル上は右取極相背勝手儘之所業有之候節は、役人中より旅籠屋渡世御差留可被下候、万一御支配御役所江御申立可被成候、仍而連印一札差出申所如件、
文政十亥歳二月 大沢町旅籠屋
伝吉 近之助
伝四郎 安兵衛
源兵衛 ゑん
嘉七 次助
文五郎 新兵衛
佐右衛門 茂左衛門
太郎右衛門 初五郎
大黒屋
伊八 源兵衛
若松 上組
次郎右衛門 三右衛門
同【上組】 同
弥惣右衛門 伝兵衛
同 同
忠次郎 藤次郎
平旅籠屋
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清吉 嘉右衛門
立 権右衛門 甚兵衛
是ハ渡世治郎左衛門江譲
嘉助 金五郎
音次郎 覚右衛門
庄吉 みよ
潰 利八郎 五郎吉
伊兵衛 所左衛門
彦兵衛 伊左衛門
次左衛門 彦三郎
次郎兵衛
新規食売持 同断
嘉右衛門 又左衛門
同断 同断
長兵衛 磐八
同断
直次郎 長十郎
彦右衛門 太右衛門
権次郎 佐七
前書之通旅籠屋議定私共迄差出候ニ付、奥書印形仕奉差上候、以上
右町
年寄 正右衛門
同 太右衛門
同 忠右衛門
同 弥平太
同 弥右衛門
問屋 宗弥
名主 雅之丞
伊奈半左衛門様 右後家 太郎兵衛
御役所