三一六 文政十年十二月 越ヶ谷宿助郷四組勤方勘定書

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(「砂原松沢家文書」市史編さん室蔵)

    議定証文之事

               六ヶ村

去戌正月ゟ十二月迄人馬勤不足賃 壱番組惣代

                 登戸村

一銭拾貫四百九文高わり共 出辻   富右衛門

戌正月ゟ十二月迄人馬勤不足賃  二番組惣代

                 西新井村

一同三拾三貫百廿一文   出辻   銀次郎

                  万次郎

戌正月ゟ十二月迄人馬勤不足賃  三番組惣代

                 砂原村

一同三拾三貫七百七拾壱文 出辻   福蔵

戌正月ゟ十二月迄人馬過勤賃   四番組惣代

                 上間久里村

一同八拾弐貫弐百五拾三文 取辻   幸蔵

                  次右衛門

右ハ去戌年御伝馬五日代惣代相勤候番中、人馬勤過不足賃銭并高わり物、書面之通り有之候処、今般御出役様ゟ御利解被仰聞候ニ付、当月廿五日迄ニ右賃銭取遣可致筈、対談取極候処相違無御座候、然上ハ右日限通り無間違急度取引可致候、依之連印一札為取替申処仍而如件、

  文政十亥年十二月     壱番組

                六ヶ村惣代

                 登戸村

                  富右衛門

                 西新井村

                  銀次郎

                  万次郎

                 砂原村

                  福蔵

                 上間久里村

                  幸蔵

                  次右衛門