三二〇 天保十四年三月 大門宿加助郷大吉村伺書

644~645/1009ページ

原本の該当ページを見る

(「大吉染谷家文書」市史編さん室蔵)

  乍恐以書付奉申上候

武州埼玉郡大吉村・増林村・中嶋村右三ヶ村惣代、右大吉村年寄七郎兵衛奉申上候、当四月日光 御参詣ニ付而は、御仕法御改村〻人馬疲労不致、村入用も相減御継送方ニも弁利克様正人馬勤相止、道中筋荷物持馴候者雇立、惣金高之内先前被下来候御扶持米之代十分一御入用被御差加、残金寄人馬可差出村〻高割合を以出金之積、此度御吟味之上受負被 仰付候間得其意、村〻出金辻納日限等之儀は追而御用屋舗御代官 御役所ゟ御触次第無遅滞御上納可仕旨、先達被 仰触候ニ付一同安心罷在候処、今般日光 御成道大門宿ゟ当村〻差村いたし、当三月朔日ゟ来四月廿九日迄当分加助郷奉願上、則 御印状頂戴仕候間拝見御受可仕旨、同宿役人共ゟ廻状を以申来、依之一昨晦日拝見御受印仕候、然処今二日大島丹後守様右御道筋御通行被遊候旨ニ而、昨朔日高百石ニ付人足六人馬三疋触当来、右は追〻御通行も繁殊ニ 御成御時節は勿論、前後とも前書人馬触当割合ニ准、其時〻触当リ候而は人少之村〻ニ而人馬引足不申、尤今般之儀は稀 御用与奉存候間、幾重ニも村役人とも精〻仕相勤度奉存候得共、前段御触も有之候ニ付馬用意も無之当惑至極仕候間、無是非此段御伺奉申上候、以上

            青山九八郎御代官所

             武州埼玉郡

  天保十四卯年三月二日   大吉村

               増林村

               中島村

              右三ヶ村

               惣代大吉村

                年寄 七郎兵衛(印)

 日光御用御調

     御役所