三二四 嘉永三年四月 人馬雇替銭請取書

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(西方須賀家文書)

    覚

  金弐拾八両三分弐朱

右は今般於日光山 御法事ニ付、其御村方当分之内越ヶ谷宿江加助郷被 仰付候処、入馬正勤ニ而は勤兼候ニ付、御用中人馬雇買揚相頼ニ付、勤高百石ニ付会所入用見込金四両ニ相定申候、然ル上は過不足勘定之儀は有之候共、双方ニ而違乱申間敷候、依之対談金書面之通慥ニ受取申処如件、

             越ヶ谷宿助郷惣代

              袋山村

  嘉永三戌年四月      名主 忠右衛門

              大泊村

               名主 善三郎

              後谷村

                  弥左衛門

        西方村

         御役人中

前書之通越ヶ谷宿惣代之者共ゟ、雇買揚銭受取書取置候間、写奉差上候、以上

  戌十月十一日     武州埼玉郡西方村

               名主 平内

 青山録平様

    御役所