(西方須賀家文書)
覚
金弐拾八両三分弐朱
右は今般於日光山 御法事ニ付、其御村方当分之内越ヶ谷宿江加助郷被 仰付候処、入馬正勤ニ而は勤兼候ニ付、御用中人馬雇買揚相頼ニ付、勤高百石ニ付会所入用見込金四両ニ相定申候、然ル上は過不足勘定之儀は有之候共、双方ニ而違乱申間敷候、依之対談金書面之通慥ニ受取申処如件、
越ヶ谷宿助郷惣代
袋山村
嘉永三戌年四月 名主 忠右衛門
大泊村
名主 善三郎
後谷村
弥左衛門
西方村
御役人中
前書之通越ヶ谷宿惣代之者共ゟ、雇買揚銭受取書取置候間、写奉差上候、以上
戌十月十一日 武州埼玉郡西方村
名主 平内
青山録平様
御役所