(大沢荒井家蔵)
【表紙】
「 明治二巳年七月
平等稼方
惣旅籠屋連印帳
大沢町
上中下三組」
乍恐以書付奉申上候
奥州道中越ヶ谷宿之内大沢町旅籠屋共一同奉申上候、私共稼方之義は同町之内ニ而も上中下三組ニ相分リ不同之稼方罷在候処、今般旧弊相省キ御一新ニ付一同相談之上、不平相改町方一般稼方同様示談相整候上は、非常備与して左之通り積立仕候、
一食売旅籠屋拾八軒ニ而食売女人数百人
日〻壱人銭拾六文ツゝ積立一日銭壱貫六百六拾四文、一ヶ月銭五拾貫文ツゝ壱ヶ年ニ銭六百貫文、但大小月増減御座候、平旅籠屋三拾七軒之義は食売旅籠屋之三分積立壱ヶ月銭弐拾壱貫四百廿四文 壱ヶ年銭弐百五拾七貫百文 但大小月増減御座候、
合銭八百五拾七貫百文
右は是迄食売旅籠屋稼方之義上中下不同ニ罷在候処、今般 御一新ニ付一同相弁相談之上平等之稼方仕、然上は前書非常備与して積立仕候間、此段御届ケ奉申上候間何卒以 御慈悲御聞済被成下置度奉願上候、以上
奥州道中越ヶ谷宿之内
大沢町
食売旅籠屋惣代
明治二巳年七月 森右衛門
武兵衛
覚右衛門
金蔵
音次郎
平旅籠屋惣代
太郎右衛門
所左衛門
権右衛門
万次郎
清吉
久兵衛
音五郎
組頭 彦右衛門
同 弥七
年寄 次郎右衛門
名主格 喜兵衛
名主 次郎兵衛
越ヶ谷宿
名主 佐平次
草加宿
小菅県
御取締所
差出申一札之事
一是迄当町食売旅籠屋共稼方之義ハ上中下不平之稼方ニ付、今般御一新ニ付左之通リ平等稼ニ取極メ申候、
一上組之義は是迄食売女雇出不致内旅人休泊而已稼方ニ而、雇銭金壱朱之処今般相改金弐朱ニ取極メ申候、
一中組之義は下組同様之稼方ニ御座候得共、雇銭之義は是以不同之稼方ニ付、今般相改銭八百文之所同様金弐朱ニ取極申候、
一下組之義は是迄金弐朱雇銭ニ御座候、何れ茂上中下同様稼方ニ取極メ申候、
一非常備積立金之義食売旅籠屋三組ニ而食売女百人与定、一日壱人ニ付銭拾六文ツゝ積立一日ニ付銭壱貫六百六拾四文、一ヶ月銭五拾貫文壱ヶ年銭六百貫文、但シ右取極候得とも大小月増減御座候、平旅籠屋之義は右三分之割合を以壱ヶ月銭弐拾壱貫四百廿四文、壱ヶ年銭弐百五拾七貫百文、但右取極候得共大小月増減御座候、積立可申筈ニ而一同無申分、示談相整申候、
一食売女之義旅籠屋之外雇出致間敷候、若相背候もの有之候ハゝ家業三日之間遠慮、万一旅籠屋外ニ而相雇度節は右平旅籠屋之内名前を以相雇可申事
一食売女雇銭平等稼方取極メ候上は引付与唱ひ、酒肴其外共雇銭之内ニ而一切差出シ申間敷候、万一相背候もの有之候ハゝ、何様之御取計受候共聊申分無御座候、
一食売旅籠屋稼方之義旅人休泊は勿論、上中下惣旅籠屋江雇出し之義、相互ニ実意を以融通稼方弁利宜敷様可仕候、
一食売女衣類之義別紙触面之通リ急度相守可申、万一相背候者有之候ハ、何様之御取計受候共聊申分無御座候、
前書之通リ三組区〻稼方有之候処、今般一同相談之上一般稼方示談相整候上は、旧来之議定御座候共改正之上は双方ニ而不取用、且雇銭之義は此度取極不拘其時宜寄一同相談之上町役人江申出差図を受取極可申、万一心得違之者有之候ハゝ何様之御取計受候共毛頭申分無御座候、仍而惣旅籠屋一同連印書差出し申処如件、
大沢町
食売旅籠屋
明治二巳年七月 久兵衛
森右衛門
吉蔵
勇助
清次郎
久左衛門相続人
とよ
直次郎
武兵衛
源兵衛
四郎兵衛
俊蔵
次兵衛
五郎吉
覚右衛門
弥七
音次郎
金蔵
越 むめ
平旅籠屋
権右衛門
太郎右衛門
彦右衛門
立 権右衛門
所左衛門
弥逸
万次郎
長十郎
次左衛門
長兵衛
喜兵衛
彦三郎後家
かね
佐右衛門
豊次郎
代次郎
彦太郎
甚兵衛
銀次郎
源兵衛
長兵衛相続人
よし
豊兵衛
次郎左衛門後家
ふき
新八
清吉
音五郎
次助
寡 かね
りよ後見
長次郎
利八郎
久兵衛
庄之助後家
はる
正助
巳之介
太兵衛
静太郎
金蔵
伝吉後家
りつ
前書積立金之義は私共一同承知仕候、以上
越ヶ谷宿
旅籠屋
清右衛門
清吉
太兵衛
御役人中
前書被仰渡候趣一同堅相守可申候、且稼方之義は相互ニ実意を尽し不実無之様可致候、万一仲間之内ニ而何事出来候節は是又不実無之様、一同相談之上取計可申候、依之食仲間一同連印いたし置候、以上
食売旅籠屋
巳七月 久兵衛
森右衛門
吉蔵
勇助
清次郎
久左衛門相続人
とよ
直次郎
武兵衛
源兵衛
俊蔵
四郎兵衛
次兵衛
五郎吉
覚右衛門
弥七
音次郎
金蔵
茂助後家
むめ