三三三 元禄五年三月 鷹場殺生禁止請書

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(『触書上』市史編さん室蔵)

  指上ケ申一札之事

一近年御鷹場中ニおゐて御法度之鳥殺生仕候者数多有之由、依之此度村〻江各御廻し被仰付候趣承知仕奉畏候、先年被仰付候通自今弥以無油断吟味仕、御法度之鳥殺生仕候族有之候ハゝ村中出合とらへ早速可申上候、

一先年被仰付候通たとへ御組御餌差たりといふ共、御黒印相改宿可申付候、御黒印所持仕候御餌差之内江壱人成共、御黒印無之籠持なとゝ申もの有之候共、其者ニ堅宿借申【ママ】間敷候、

一惣而殺生仕候者名主江茂断なく百姓あいたいニて引入、村〻殺生いたさせ候者有之由相聞へ申ニ付、向後左様之者有之百姓あいたいニて宿仕候ハゝ、其者ハ不及申上ニ名主年寄迄如何様ニ茂可被仰付候、村〻何茂御廻し被仰渡候上、たとへ田畑之内御法度之殺生道具有之候を御見合候ハゝ、其田畠之主ハ不及申名主年寄迄何分ニも可被仰付候、

 附御黒印有之御餌差宿仕候とも、殺生道具相改少もまきらハしき儀有之候ハゝ、其所ニ留置早速可申上候、尤宿仕候内日暮候而殺生場へ遣し申間敷候、むたいニ出可申と申者有之候ハゝ其宿名承届ケ是又可申上候、宿いたし候節も一村ニ五日外留置申間敷候、

一村〻百姓之内ニ御餌差弟子ニ罷成殺生いたさせ申間敷候、若左様之者有之隠置後日相聞へ申候ハゝ、何分ニ茂可被仰付候、惣而野辺あやしき殺生人見来候ハゝ御鷹番屋ニ申付置村送り可仕候、

 附先年被仰付候通、御鷹場之内ニ而鳥売買堅いたさせ申間敷候、若密ニ鳥売買仕候者有之候ハゝ其村〻名主年寄迄越度可被仰付候、惣而近年御鷹場中御餌差ニまきれ、にせ餌差有之候由被及御聞候ニ付、自今念入相改可申旨奉畏候、万一にせ餌差之宿仕候か御法度之鳥取り申候を見のかしニ仕候ハゝ如何様ニ茂可被仰付候、為後日仍而如件、

 元禄五申三月         何村名主誰 印

     黒川七兵衛殿

     小出三郎右衛門殿

     荒井五郎左衛門殿

     杉浦与一兵衛殿