三三五 元禄九年十月 鳥見役停止触請書

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(『触書上』市史編さん室蔵)

   覚

御鳥見向後相止候得共、只今迄之御留場前〻之通鳥類殺生不仕、勿論他所之ものニも殺生いたさせまじく候、病鳥有之節は於其所随分念入養育可仕候、度〻其支配へ不及相達候、若人〻さハり候て痛所疵付候体之鳥類有之候ハゝ、其ハ(わ)け委細書付其所之御代官并地頭江可申出候、かくし置脇ゟあらわるゝに於いてハ可為曲事候、以上

  子ノ十月日

右御書出候之趣奉拝見候、鳥類殺生之儀不及申上、只今迄御鳥見衆より被仰付候御法度之趣弥堅相守、病鳥落鳥等有之候歟、又ハ人障り候ハゝ痛所ハ疵付候体ニ相見江候鳥類有之候ハゝ、早速御屋敷江可申出旨被仰付奉畏候、勿論只今迄ノ通十月ゟ三月迄御鷹番只今迄之通付置可申候、且又御放鶴番人之儀御鳥見衆江申上候通御屋敷へ可申上候、尤他領飛行申候ハゝ只今迄御領所ニ而相勤候通り、先〻迄見届番付置其趣御注進可申上候、御鳥見衆相止候とて殺生人なと見遁し聞逃シに仕間敷候、若右之趣相背候ハゝ当人ハ不及申其村〻名主年寄迄何様之曲事ニも可被仰付候、為後日証文差上ケ申候、仍如件、

  元禄九年子ノ十月日     何村 名主たれ

                   年寄たれ

右御書出し之趣今披見村〻へ相触、案紙之通村切証文相認、当月廿五日迄之内可指出候、尤指上候証文之通急度相守可申候、以上

  子十月十四日   伊半十 印

                西葛西領

                東葛西領

                八条領

                越ヶ谷領

                二郷半領