三四〇 享保二年六月 紀州鷹場村々指定申渡

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(『触書上』市史編さん室蔵)

    武蔵国足立郡

領家村  谷津村   中小林田村 下小林田村

上賀村  久保村   南村    門前村

宮下村  柏座村   下上尾村  鍛冶村

菅谷村  小鋪谷村  原市村   加荷宮村

上大成村 上天沼村  西谷村   串引村

大宮町  南良瀬戸村 水判土村【(欄外注記)水時田方之事】

指扇村之内

 下郷 五味閏戸 奈羽根 増永 大木戸台 大西

別所村  町谷村   落合村   須ヶ谷村

笹丸村  【(欄外注記)大戸村枝郷】大寺村   亀在家村

    武蔵国埼玉郡

馬込村  下蓮田村  上蓮田村  下閏戸村

中閏戸村 上閏戸村  駒崎村   大間野村

越巻村  七左衛門村 瓦曾根村  四町野村

谷中村  蒲生村   登戸村

右村〻此度紀州殿鷹場ニ被進候間可存其旨候、紀州殿役人中ゟ村〻へ判鑑可相渡候条諸事之儀古来之通可相心得候、尤私領寺社領共ニ其地頭江右之旨村方より可相達置候、此触書一覧之上書面之村名之下ニ名主致名印、無滞相廻し都築藤十郎方へ可相返ス候、以上

  【享保二年】酉六月        惣左衛門

                   弥太郎

                   因幡

                   下野

              上方御用 伊勢

                   伯耆

其村〻此度紀伊殿鷹場ニ被仰付候ニ付、昨廿九日於御勘定所別紙触書帳相渡り候ニ付如此ニ候、御触書之通可奉存其意候、

一御料私領村〻共ニ御触書之通り、御料私領寺社領共ニ其支配江右之旨村方ゟ可相達候、

一御触書之下ニ名主名をぢきニ書致印判可相廻候、大切之御触書ニ候間かきちらし不申様ニ入念名印可致候、村〻之内分郷有之候ハゝ何様ニ而茂村書之下ニたれ知行所と書名主名印可致候、名書多く村下ニ認候事難成候ハゝ付紙ニ可致候、可成たけハ村書之下ニちきニ名印可仕候、右御触書帳ハ村方ゟ返り次第御勘定所江上ヶ候間、其心得を以そまつ無之様ニ入念可相廻候、尤我等廻文之村下ニ刻付印形いたし、無遅〻相廻し請取取置可申候、若名主他出ニおゐてハ名主代として組頭之内名印可致候、右御触書此添状共ニ留り村ゟ家来役所迄早〻可相返候、以上

   七月朔日       都築藤十郎

 追而我等屋敷之儀江戸牛込逢坂之上ニ而候、以上

               御料私領

                 右村〻 名主