三四七 文化十三年三月 御留場鶴捕獲一件

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(『旧記四』市史編さん室蔵)

 鶴一件諸書物幷大貫治右衛様御ゟ法書頂戴有之事

  附大貫治右衛門様ゟ御法書頂戴有之事

 右は三月二日戸田五介様御組御鷹匠方御大勢御通り懸ニ而、西方村地内字下手耕地前とふ蓮根田ニ而、黒鶴壱羽御羽合御取捕被成御持被遊候ニ付、村方ゟ小前并村役人とも追〻出向、不動裏ニ而御鷹匠方ニ懸合ニ相成候は、御場所違之儀ニ付其段御懸り御鳥見様江御注進可申上段、依而右鶴村方へ御預ヶ可被遊旨旁〻申争候上ニ而右鶴預り置、依而御鷹匠方へ預り一札相渡し右文言

  奉預り一札之事

一黒鶴壱羽 外ニ鍬から壱挺

右は御場所内西方村字下手耕地前とふニ而、御羽合被成候御鶴壱羽慥ニ奉預り候、以上

 文化十三子三月二日  八条領西方村

             触次 名主 平内

 戸田五介様御組        名主 吉蔵

    御鷹匠 原田善蔵様

 然ル処小林村元野廻り佐源次殿扱人立入候得共、御鷹匠様殊外御腹立ニ而六ケ敷被仰内済不行届、依而夜通し葛西御掛り様へ御訴罷出候、右願書案文左ニ

  乍恐以書付御訴奉申上候

八条領西方村触次平内并村役人名主弥右衛門同吉蔵一同奉申上候、戸田五介様御組原田善蔵様当村地内御拳場之内字下手耕地ニ而御鶴御捕押江被成候ニ付、右鶴壱羽当村江留置預り申候間、乍恐此段御届ケ奉申上候以上

  文化十三子年三月二日  八条領

              触次 平内

              名主 弥右衛門

  葛西御掛り       同  吉蔵

    小堀兵次様

 外ニ御鷹匠様江差上置侯御鶴預り一札左之通写相添

  奉預り一札之事

一黒鶴壱羽 外ニ鍬から壱挺

右は御場所内西方村字下手耕地前とふニ而、御羽合被成候御鶴壱羽、慥ニ奉預り候、以上

  文化十三子年三月二日  八条領西方村

                名主 吉蔵

 戸田五介様御組      [触次/名主] 平内

  御鷹匠原田善蔵様

 

 右之通り預り一札差添御訴申上候処、御掛り小堀兵次様早速御取上ニ相成、右願書之儀は御同人様御持参御登城有之上ニ而、則戸田五介様ゟ茂夫〻御申立被遊侯砌り、葛西御掛り小堀兵次様と御掛合ニ相成候処、西方村ゟ写差出候預り一札文面之内、西方村字下手耕地ニ而御つかわせ被成侯と申一札御鷹匠様江差上侯由、此儀如何ニ思召被成侯哉之趣ニ而御場所違御鷹匠方不行届儀ニ茂相成侯哉、三月四日戸田五介様御組横山九平様御越被成、其節葛西御掛り小堀兵次様右場所御見分として当村御廻村先江罷出、

 内済何れニか相願侯様子ニ御座候、

昨日訴出侯儀ニ付場所見分として明四日罷越候間、村境罷出案内可致候、尤葛西用水通り相越候間右道筋江出向可被致侯、以上

 三月三日未申刻 小堀兵次 西方村

               触次 平内

               名主 弥右衛門

               同  吉蔵

 右は出向ニ罷出候処、御懸り様三月四日御越被成御通り懸りニ場所御見分、当村平内宅御旅宿ニ而段〻始末御糺、殊隣村迄茂御糺被成候処戸田五介様御組横山九平様ゟ御内意ニ而、元野廻り小林村佐源次殿を以当村江申入、何様一札差入可申旨何レ内済致呉候様申入候ニ付、葛西御掛り様江茂先訴書之趣少〻振合ヲ直し申立候処、葛西御掛り様ニ而諸事御勘弁被為有、格別御取計ニ而村役人并百姓代之者同書印形御取被成、右内済之趣意西方村江請取置候、書付左ニ

当月二日鶴捉飼ニ付、小林村地内西方村境近辺ニおゐて御羽合被成候処、御鷹附越即刻御鷹方欠附御捉飼被成候旨、御拳場ニ而鶴御捉飼被成候由、其掛り御鳥見様方迄被訴出候段致承知候処、其節我等共儀行歩疲レ欠附候儀間ニ合不申候故、場所不案内之御鷹方ニ候間弁茂なく、畢竟村方役元江相届ケ差図を請候上之処、右我等共立会無之故行届兼候儀共御申立被成、御鳥見様江御訴被成候願書御下いたし被呉候様、幾重ニ茂相役一同申候ニ付、我等共ゟ御願ニ申入候、然ル上は已来右様之儀致間敷候、御拳場御締り相弁可申候、仍而如件、

  文化十二子三月    戸田五介組野廻り

                  下見庄五郎

              右御宿小林村元野廻り

                  佐源治

         西方村

           御名主中

  書付之事

一其御場所内御締之儀、同役共江茂申達し以来不相弛候様致遣し可申候、以上

  文化十三子三月四日    戸田五助組

                 横山九兵衛 印

       御拳場

        触次 平内殿

 右之通一札請取葛西御掛り様江御内見致候迄ニ而、 小林村元野廻り佐源治殿江預ケ置候、

 一右は御懸り御鳥見様村方口書相認メ候上ニ而、隣村〻迄夫〻御糺し有之請書印形御取揃被成、右御鶴之儀は村継を以葛西御役宅江御持被遊候、勿論鳥一条之儀故御支配御代官様江は御届ケ見合、御訴不申上候、

 

   覚

先達而鶴一件之儀其村取計行届、尤兼〻取締筋出情之趣其筋江申立置候間、沙汰も可有之義与存候、且右之節支配御代官江茂可相届候旨申聞候得共、鳥一条之義同人届は見合候様此方ニ而申談、支配江は相届不申候段是又申達置候間、其旨相心得万一届方無之趣尋等も有之候ハゝ、此方ゟ差留メ候ニ付訴不申候段申達候而宜敷候、為念此段申遣候、以上

  三月廿二日 小堀兵次

              西方村

               触次 平内

               名主 弥右衛門

               同  吉蔵

 追而本文之儀ニ付出府もいたし候ハゝ、出懸ケニ立寄可申候、面談も致度候得共遠方ニ而候間能〻罷越候ニも不及候、出府いたし候ハゝ其出懸ケニ而相越し候而宜敷候、以上

 

 御鷹野御役所様より早〻可罷出御差紙、五月罷出候処鶴一件ニ付御鳥見様ゟ被仰立有之候哉、左之通り御法書御代官大貫次右衛門様ゟ御自身ニ御渡被遊候、右本紙平内預り置候、

 

              八条領西方村

   申渡            村役人

右は御場所内取締宜御定法之儀、無等閑相守奇特之筋茂有之御締行届出情之趣相聞候間、村役人并小前之者迄誉置可申旨 柳生主膳正殿被仰渡候ニ付申渡ス、

  子五月

 右は御鳥見組頭申立候由、御場懸り頭取衆ゟ達有之候ニ付 柳生主膳正殿被仰渡候間是又申渡、

   申渡

             八条領 村〻

右は西方村之儀、御場内取締宜御定法之儀無等閑相守、奇特之筋も有之出情之趣相聞候間、村役人并小前之者迄誉置間、其段領中触次共江可申渡旨 柳生主膳正殿被仰渡ニ付申渡、

  子五月

 右は西方村役人并八条領触次共御鷹野御役所江被召出、別紙御法書弐枚御渡被下、則村役人小前江拝見為致請印為仕置、且又触次衆は領中村〻江拝見為致承知印形取置候事、末〻心得可知候、