(七左衛門井出家蔵)
【表紙】
「 元治元子年
大岡兵庫頭領分埼玉郡谷中村一件帳
六月廿五日 七左衛門村
名主 門平
御宿仕候」
乍恐以書付奉願上候
武州埼玉郡谷中村組頭貫次郎奉申上候、百姓増蔵・梅次郎・常次郎義御取調之義有之候ニ付、御呼出し相成侯処、常次郎義ハ煩ニ付忰次郎吉召連罷出候間、偏ニ奉願上候、以下【ママ】
六月廿九日 武州埼玉郡谷中村
常次郎煩ニ付
忰 次郎吉
組合 丑太郎
組頭差添 貫次郎
御鳥見
会田平左衛門様
御鳥見様着到帳
大岡兵庫頭領分
武州埼玉郡谷中村
増蔵
当子三拾九歳
梅次郎
同廿七歳
右両人組合
小八
常次郎煩ニ付
忰 次郎吉
組合 丑太郎
右組頭
差添 貫次郎
廿八日夜御呼出し、右之もの義於御白洲ニ御吟味有之候処、一ト先御猶予被御聞済候、
差上申一札之事 埼玉郡谷中村
常次郎忰
次郎吉
当子三拾才
梅次郎
同拾七才
増蔵
三拾九才
右三人之内弐人但本縄附之よし
一はし懸 一ッ 一当
一煙草入 一ッ 一きせる 壱本
一火打かま一ツ
〆五品
右之者義今般御調中当所七左衛門村江御預被仰付、右品物とも慥ニ御預り候、然上は不取逃様番人足附置為相慎、諸事心附ケ候様可仕候、依之連印預り一札差上申処仍而如件、
元治元子年六月廿八日夜 年寄 富右衛門
御鳥見 名主 門平
会田平左衛門様
乍恐以書付奉歎願候
一大間野村当村左之名前役人一同奉申上候、大岡兵庫頭領分谷中村百姓常次郎・梅次郎・増蔵右三人之者共殺生相嗜其由御耳ニ達、厳重御吟味殊ニ御縄かゝり之処、強而一ト先之御下ケ乞御聞届被成一同難有奉存候、右之者共内意相探り候所、名前之内増蔵義定使役相勤候ニ付、去亥年暮ニ而御年貢皆済触レ参り候折柄、字しら鷺と申唱候落鳥壱羽相拾ひ候得共数日相過して故歟臭気甚敷候ニ付、不容易義与存早〻土中江相埋メ候由相違無御座候、依之左之連印ヲ以只顧歎願奉申上候、何卒格別御憐愍ヲ以右之もの共儀御許容被仰付度一同奉願上候、以上
元治元年六月 大間の村
五郎左衛門
七左衛門村
門平
富右衛門
平右衛門
儀三郎
正庵
八右衛門
御鳥見 政七
会田平左衛門様
廿八日夜再応御吟味有之所ヲ延引
廿九日朝早〻御吟味有之趣処、名主門平内外ヲ申入又〻御延引ニ相成、就而は役人共ニ而当人一同の胸ヲ被聞及候様被仰付、尚其時歎願之役人惣一同御呼出し右様申付有之候
乍恐以書付御慈悲奉願候
大岡兵庫頭領分埼玉郡谷中村百姓常次郎煩ニ付、忰次郎吉・増蔵・梅次郎右之もの共御法度殺生筋ニ携候段被及御聞ニ、今般組合村役人一同御呼出し厳重御調奉請候処、当人共ハ勿論村役人一同奉恐入候、勿論去亥年十一月四日同村田端ニ於て斃シ鴻壱羽拾取私喰仕候段申上候得共、其外同類茂有之殺生筋多分御見込之思召を以取詰御利解之趣ニ而、実以恐縮閉口之様子ニ付、格別之以御慈悲一ト先御下ケ被成下置一同難有仕合ニ奉存候、尚向後之義は近隣之私共一同添心仕右村方御払御議定相立候様可仕候間、今般之義は御憐愍之御沙汰御座候様偏ニ奉願上候、以上
元治元子年六月 埼玉郡七左衛門村
組頭 平右衛門
同 儀三郎
年寄 富右衛門
同 政七
名主 門平
組頭 林右衛門
[医師/名主] 正庵
御鳥見 大間の村名主無之
会田平左衛門様 年寄 五郎左衛門
差上候一札之事
武州埼玉郡谷中村
増蔵
三拾九才
梅次郎
二拾七才
右両人腰縄ニ而封印
常次郎煩ニ付
次郎吉
三拾才
右之者共儀当村地内ニおゐて御法度之殺生仕候段風聞御聞込、今般再応御呼出し厳重御調受候処、不容易殺生筋当人共は勿論村役人迄一同奉恐入一言難申立、只顧御慈悲奉願上候処一ト先御下ケ被成下、依之当人共村預ケ被仰付慥ニ奉預り候、然上は不取逃様番人附置他参等差留諸事心附為相慎置、御呼出し次第早速召連可仕候、仍之預り一札差上申処如件、
元治元子年六月廿九日 埼玉郡谷中村
組頭 貫次郎
名主出府代兼役人惣代
御鳥見 組頭 惣右衛門
会田平左衛門様
乍恐以書付御慈悲奉願上候
左之名前之者共一同奉願上候、埼玉郡谷中村魚猟人伝右衛門御飼鳥餌魚御用相達し、右ニ付魚猟御免ニ相成御屋形様ゟ御鑑札壱枚頂戴仕、御鳥番見守精〻仕候様兼而被 仰渡書付奉差上候処、去亥年暮同人居村ニおゐて不容易殺生筋専風聞御聞達、今般当人共御呼出し御調請候処正敷相違無御座候趣、然処同人義去亥年暮頃ゟ煩引籠り居他出不仕義ニ付、今般之次第一切承知不仕、左候迚居村之義ヲ少茂不弁畢竟御鳥番等閑不行届之段厳重御調請、右御鑑札可差出様被仰渡御理解之趣奉恐入一言難申立、併同人義茂旧来御鑑札頂戴冥加至極相弁ひ今般御取上ケニ相成候而は、実以歎ケ敷今更千非後悔仕、隣村七左衛門村役人共江取縋相歎候ニ付、不顧恐一同歎願申上尚向後外村魚猟人共一同ニ而添心いたし、供〻精〻可仕候間何卒御慈悲ヲ以御宥免被成下置候様、一同連印奉額上候、以上
元治元子年六月 七左衛門村
魚猟人 庄左衛門
戸塚村
同 浅次郎
七左衛門村
組頭 井右衛門
同 八右衛門
同 平右衛門
年寄 富右衛門
御鳥見 名主 門平
会田平左衛門様
差上申御請書之事
当村百姓増蔵外弐人鳥殺生ニ携候段被及御聞、先般御呼出再応御糺之上村御預ケ被 仰付御吟味中、当人之義鳥殺生ニ携候義申立無御座候得共、去子年十一月中農業出先村内字寅置耕地通り懸り候処、鴻落鳥壱羽見付折鶴【柄カ】三人最寄畑ニ居合不斗申合右増蔵宅へ持参食料ニ仕、其余殺生筋ニ携候儀毛頭無御座候得共、落鳥見付候ハゝ村役人江申立其段御訴可申上所、無法心得喰料ニ仕候段御調受今更心得違先非後悔奉恐入候、畢竟右等より殺生携候風聞受候義も可有御座、此上之義ハ御慈悲奉願度歎願申上候得共、御信用難被遊尚追〻御糺其御筋江被仰立候旨ヲ以縄付封印其儘御預ケ被置候所、元来同人共極貧之もの共ニ而前書降鳥押隠し喰料仕候ゟ自ラ疑惑之悪風聞請候義も可有之、村役人共義も右始末不心附御訴ニも不及段是又奉恐入、再三挙而御歎願奉申上候ニ付、此度之義ハ以 御慈悲一ト先御下ケ被成、何卒御手切御宥免奉願上度依而は向後殺生筋村内ハ猶更、他ゟ入込候共不包有躰可申上、且又当人共義も万一殺生ニ携此度御吟味筋偽申上候段及露顕候歟、向後殺生人立入候段被及御聞候ハゝ、縦令余人之所業たり共無御用捨御取計ニ成候段 被仰渡円〻承知奉畏候、依之御請書奉差上候所如件、
元治元子年七月 大岡兵庫頭領分
武州埼玉郡谷中村
百姓常次郎煩ニ付
伜 次郎吉
梅次郎
増蔵
右村
組頭 惣右衛門
同 貫次郎
名主 三右衛門
同郡七左衛門村
百姓代 儀三郎
年寄 富右衛門
同 政七
名主 門平
組頭 井右衛門
名主 八左衛門
同 正庵
組頭 平右衛門
同郡大間野村
年寄 五郎左衛門
御鳥見 同同越巻村
会田平左衛門様 同 陸七郎