三五五 文久四年二月 御拳場内魚猟に付詫書

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(西方石塚家蔵)

   入置申一札之事

一当村方之儀は、往古ゟ 御拳場ニ付厳重相守候、猶又八月より三月迄は村役人御見廻被成候所、当二月九日網梁【ママ】行候所村役人御通り掛御崇ニ相成、親類ハ不及申ニ組合一同御呼立之上、右始末御糺しヲ請候所、前書貞次郎右躰殺生致候儀ニ而、一言可申上様無之恐入候、依之難差置旨ヲ以其筋江可被仰立段被仰渡一同奉驚入候、右候而は何様之御咎可奉請哉難計候間、親類組合一同惣連印ヲ以御歎願申上候、格別之以御勘弁ヲ御聞済被下一同難有仕合ニ奉存候、然ル上は向後急度相慎聊たり共魚鳥殺生致間敷、万一此上魚鳥殺生之旨ニ付其筋ゟ御取調有之候節は、諸雑用は勿論都而入用急度当人ニ而差出、聊たり共外筋江不為差出当人掛ニ可被成旨被御申聞、是又一同承知仕候、依之親類組合一同加判之一札入置申所如件、

  文久四子年二月十日  埼玉郡八条領西方村

               当人 利左衛門(印)

               忰  貞次郎(印)

               [親類/組合] 茂右衛門(印)

               同  利七(印)

               同  忠左衛門(印)

               同  伊右衛門(印)

    同村         同  藤七郎(印)

     御村役人中