(「砂原松沢家文書」市史編さん室蔵)
指上申一札之事
一当正月末頃ゟ砂原村ニ而操一・七日仕候、此段兼て御知行所ニて操仕御法度ニ而御座候所ニ相背申、段〻御吟味之上一言御申訳ヶ無御座候、乍然私共義相談不仕候、前原組・東組若者共大沢町之者と相談仕、不動当【堂】ふき替之由本寺江申立仕候、右之趣御知行所之義ニ御座候間兼而御法度之義ニ御座候間、御伺申上御指図ヲ得如何様ニも可仕所ニ無沙汰ニ仕、兼而御法度之義相背申、詑可申上様無御座候、尤私共義ハ相談ハ不仕候へ共、御詮義之上ニ而ハ御申分無御座候、
享保十二年未二月十九日 越ヶ谷領砂原村
勘兵衛
定右衛門
勘十郎
三右衛門
善兵衛
又兵衛
市右衛門
御代官様