三六二 享保十二年二月 操芝居興行に付詫書

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(「砂原松沢家文書」市史編さん室蔵)

  指上申一札之事

一当正月末頃ゟ砂原村ニ而操一・七日仕候、此段兼て御知行所ニて操仕御法度ニ而御座候所ニ相背申、段〻御吟味之上一言御申訳ヶ無御座候、乍然私共義相談不仕候、前原組・東組若者共大沢町之者と相談仕、不動当【堂】ふき替之由本寺江申立仕候、右之趣御知行所之義ニ御座候間兼而御法度之義ニ御座候間、御伺申上御指図ヲ得如何様ニも可仕所ニ無沙汰ニ仕、兼而御法度之義相背申、詑可申上様無御座候、尤私共義ハ相談ハ不仕候へ共、御詮義之上ニ而ハ御申分無御座候、

  享保十二年未二月十九日  越ヶ谷領砂原村

                勘兵衛

                定右衛門

                勘十郎

                三右衛門

                善兵衛

                又兵衛

                市右衛門

 御代官様