三六八 天明四年二月 不身持謹慎証文

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(七左衛門井出家蔵)

  入置申一札之事

一我等不身持ニ付打捨置候而は名跡退転も難計、母并ニ親類後見身上相賂可申と及相談候処、貴殿御事も実父存生之砌リ家督義御対談被成候ゆへ、此度御立入前書之通リニ而我等世間躰相立申間敷由利害被仰聞、親類一同承知、依之我等無相違相賂候様ニ相成リ御世話忝存候、然而貴殿御差図急度相守可申候事

一田畑小作米金入附候先江参我儘ニ請取申間敷候、御相談之上借金済【カ】方手当ニ茂可致候事

一当年暮方金銭出入帳ニ記、立合勘定無間違様可候事

一借用金是迄御調被成候通相違無御座候、外ニ有之候段申間敷候事

右之条〻親類不申及、村役人立会相究メ候上ハ急度相慎可申候、万一前書之内壱ツ茂相背候ハゝ御約束之通リ我等隠居仕、弟共御見立、以此書 御地頭様御願身上相続可被成候、其節御恨申間敷候、為後日一札仍而如件、

 天明四年辰二月      常州河内郡長竿村

                 市郎兵衛(印)

     武州崎玉郡七左衛門村

             門平殿