(七左衛門井出家蔵)
(表紙)
「御裁許書写」
一武州越ヶ谷宿之内大沢町伊之助其外之者共、博奕其外悪事いたし候一件再応御吟味之上左之通被仰付候、
一伴平・太四郎・善蔵儀、荻嶋村野田又ハ粕壁宿其外野田等ニ而、名住所不存もの共ト手合ニ加リ弐拾四五文迄之賭銭ニ而読かるたいたし、其上平兵衛・平左衛門ハ廻リ筒賽博奕をも致候始末不届ニ付、平兵衛・平左衛門ハ重敲、浅五郎・源兵衛は敲被仰付候、
一岩松・三之丞義は鳩ヶ谷宿其外野田等ニ而、名住所不存もの共手合加リ、廻リ筒賽博奕度〻致候段不届ニ付、両人中追放被仰付候、
但御構之場所ニ徘徊致間鋪候旨被仰渡候、
一定八儀、伊之助 御奉行所御吟味中村御預ケ相成候もの与乍存、任頼ニ同人代リニ成町内浅間社内ニおゐて廻筒賽博奕之貸元いたし、其上下総国小文間村林蔵外壱人博奕之妨致候より事起り口論ニ相成、伊之助罷越制止候得共、林蔵外壱人不聞入立騒迚、伊之助儀真木を以打掛リ候ニ引続、私并弥三郎其外大勢ニ而林蔵外壱人ヲ致打擲、既ニ林蔵相果候次第ニ至リ候段不埒ニ付、中追放被 仰付候、
但御構之場所右同断被仰候、
一弥三郎・重太郎・源五郎義、弥三郎・重太郎ハ 御奉行所ゟ村御預ケニ相成候伊之助博奕可相催旨申勧メ元手銭助合遣し、善五郎右手銭持運伊之助代リ定八貸元致候節手伝いたし、剰下総国小文間村林蔵外壱人博奕妨致候ゟ事起リ及口論、伊之助罷越制止候得共、林蔵外壱人不聞入立騒候迚、伊之助真木ヲ以打掛リ候故、定八并私共其外大勢ニ而林蔵外壱人致打擲候故相果候次第ニ至リ、殊に伊之助与申合右死骸を浅間社地江捨置候段不届ニ付、三人共中追放被仰付候、
但御構之場所右同断被仰付候、
一庄次郎義大沢町浅間社地ニおゐて、同町定八其外之者共手合ニ加リ、廻リ筒賽博奕いたし其上下総国小文間村林蔵外壱人博奕妨致候より事起り、右両人博奕手合之者共一同口論致候節、同町伊之助参り制止候得共右両人不聞入立騒候迚、伊之助外四人并手合之もの共一同林蔵外壱人ヲ打擲致候砌リ、私儀も誰とも不弁敲候処、右両人とも倒候ヲ見請逃去リ候始末不届ニ付、重敲被仰付候、
一丈助義下総国小文間村林蔵任申ニ、武州大沢町浅間社地ニおゐて、同町定八其外之者共博奕致居候場所へ罷越、手合ニ加リ度旨申候処、定八相断候を林蔵又〻事六ケ敷申博奕之妨致候ゟ事起リ、定八其外之者共与口論いたし、伊之助罷越制止候得共不聞入立騒候故、同人其外大勢ニ被致打擲候次第ニ至リ候段不埒ニ付、溜ニおゐて手鎖被仰付候、
一常次郎義越ヶ谷宿之内野田ニ而、名住所不存者与手合ニ成ハ廻リ筒賽博奕度〻致し、殊ニ御奉行所御吟味中村御預ケニ相成候身分ニ而、同国七左衛門村惣右衛門娘みの江密通致かけ得心不致候ヲ心外ニ候迚、同人江迷惑可被致与同村名主兵右衛門方へ罷越、惣右衛門家内之者へ衣類金銭貸置候処不相返候間、済方申付呉候様無跡形義事六ケ敷申掛、組合之者をも迎ニ参候而も不立帰居込罷有候段不届ニ付、中追放被仰付候、
御構之場所右同断被仰付候、
一神明下村名主組頭常次郎組合之者共儀、御奉行所御吟味中村御預ケ被仰付置候常次郎他出いたし、剰七左衛門村惣右衛門娘みのへ密通申掛ケ得心不致候迚同人へ迷惑可為致旨、同村名主兵右衛門方へ罷越、無跡形も義彼是事六ケ敷申掛居込不立退候ヲ、同人よリ申越候迄不存罷有候段不埒ニ付、名主ハ急度御呵并組合組頭迄御呵被置候、
一大沢町伊之助義荻嶋村共外野田ニ而、万次郎其外之者共手合ニ加リ、廻リ筒賽博奕致し御奉行所御吟味中村御預身分ニ而、口銭可取ため定八ヲ頼ミ浅間社地ニおゐて廻賽博奕之貸元いたし、殊に其節下総国小文間村林蔵、無宿丈助博奕之妨致候ゟ事起口論ニ相成、取鎮呉候様定八ゟ申越候ニ付、有合候真木ヲ持右場所罷越制候得共、林蔵・丈助共ニ不聞入立騒候迚右真木を以打掛リ候故、引続定八其外之者共大勢ニ而林蔵・丈助を打擲いたし、林蔵ハ相果候を弥三郎外弐人俣〻浅間社地へ死骸持参リ捨置候始末、不届ニ付下死人被 仰付候間其旨可存段被 仰付候、
一藤左衛門義町内弥五右衛門店ニ罷在候節、同町弥三郎・重太郎・善五郎義其外名前不存、下総国小文間村林蔵急病由ニ而連参リ介抱致候内、相果候右死骸を町内伊之助并弥三郎外弐人持出し候を、怪敷義とも不心付、其分ニ致置候段不埒ニ付急度御呵被仰候、
一喜右衛門義甥伊之助博奕ニ付、御奉行所御吟味中御預ケ之ものニ候処、同人義町内定八ヲ頼ミ浅間社地ニおゐて博奕貸元為致、下総国小文間村林蔵外壱人与定八其外之ものとも口論致候節も、右場所江まへり林蔵外壱人江始相役ニ打掛リ、既ニ林蔵相果候処社地へ死骸持参捨置候次第不存罷有、其上万次郎外壱人参リ林蔵病死之由ニハ不及候とも口論之後相果候義故、葬入用差出し内分ニ而事済候方可致与申聞候なし、実否相糺罷有候始末旁〻不埒ニ付、過料銭三貫文被 仰付候、
一万次郎義荻嶋村野田又ハ鈎上村山中ニ而、大沢町喜右衛門方ニ居候伊之助其外之者共手合ニ加リ、廻リ筒賽博奕両度いたし、御奉行所御吟味中村御預ケ之身分ニ而、伊之助其外之者共下総国小文間村林蔵外壱人与口論いたし、林蔵急病にて相果候趣も風聞承リ吟味ニ相成候而は、伊之助難儀ニ可及と気之毒ニ存候迚、大沢町次右衛門俣〻喜右衛門方へ参リ、林蔵葬入用等差出し内分ニ而事済候方可然与申談候始
末不届ニ付、重敲被 仰付候、
一治右衛門義下総国小文間村林蔵を変死与ハ不存候へ共、町内伊之助其外之者共口論之上互ニ打合候後、林蔵急病ニ而相果候由風聞承リ吟味ニ相成候而は、一同難儀可致気之毒ニ存候迚、得ト実否も不相糺葬入用等差出シ、内分ニ而事済候方可然与万次郎又〻喜右衛門へ申談候段不埒ニ付、急度御叱リ被置候、
一新左衛門・七郎右衛門義下総国小文間村林蔵大沢町ニ而変死致候処、病死与心得候ニ付林蔵親利右衛門疑ヲ以願出、御奉行所御吟味ニ相成候而ハ引合之者共一同難儀可致旨気之毒ニ存候処、大沢町之者共ゟ葬入用可為差出間、内分ニ而事済候様一旦利右衛門江及掛合候段不埒ニ付、両人共急度御呵被置候、
一大沢町名主年寄共儀 御奉行所御吟味中、村預被仰付候伊之助儀、定八を頼浅間社地ニ而博奕相催同人ニ貸元為致、弥三郎外弐人ハ貸元手伝致し、剰下総国小文間村林蔵外壱人与博奕手合之者共口論之節、伊之助参リ同人重立定八其外大勢ニ而、林蔵外壱人及打擲、既ニ林蔵相果候を浅間社地江死骸捨置候をも不存罷有候段、一同不埒ニ付名主過料銭三貫文被仰付、年寄共ハ急度御叱リ被置候、
一清右衛門義同居致候万次郎ハ 御奉行所御吟味中御預被 仰付候ものニ候処、他出いたし大沢町喜右衛門へ参リ変死人之義ニ付、彼是致談合候を不存罷有候段不届ニ付、急度御呵被置候、
一茂兵衛并鈎上村名主組頭共義、岩五郎致欠落行衛不知段、先達而御訴申上候ニ付其節ゟ日限尋被 仰付候処、度〻御日延之上不尋出段不埒ニ付、茂兵衛ハ過料銭三貫文被 仰付候、名主組頭共ハ一同御叱リ被置候、
一伝吉・惣右衛門・林蔵・利右衛門其外先達而御吟味中ニ付被 召出候者共ハ、不埒之筋も無之無御構間今般不罷出者共江ハ、最寄村役人共ゟ可申通段被仰渡候、
右被 仰渡候趣一同承知奉畏候、且過料銭ハ三日之内大貫治右衛門様御役所へ可相納旨、是又承知奉畏候、若相背候ハゝ重科可被 仰付候、仍而御請証文差上申候、
文化十酉年 野田源五郎元御代官所
十月十九日 武州埼玉郡弥十郎村
百姓 伴平
吉岡治郎右衛門御代官所
武州葛飾郡平沼村
太四郎
大岡主膳正領分
同州埼玉郡鈎上村
善蔵
茂兵衛
野田源五郎元御代官所
同州同郡越ヶ谷宿之内
大沢町
百姓権左衛門忰
定八
伝吉
喜右衛門
百姓太郎兵衛地借
弥三郎
同彦右衛門地借
治右衛門
善太郎忰
善五郎
光明院地借
重太郎
光明院地借
藤左衛門
名主 太郎兵衛
年寄 利左衛門
同 彦右衛門
同 伊左衛門
同 政右衛門
同 七右衛門
右役人惣代
利左衛門
米倉丹後守領分
同州同郡後谷村
源右衛門
野田源五郎元御代官所
同州同郡上間久里村
百姓六右衛門忰
庄次郎
同御代官所
同州同郡西新井村
平左衛門
矢頭又六知行所
同州同郡荻嶋村
平兵衛
大河内金之丞知行所
同州同郡荻嶋村
治右衛門忰
浅五郎
無宿 岩松
同 三之丞
同 丈助
野田源五郎元御代官所
同州同郡越ヶ谷宿
百姓六右術門忰
清右衛門
同人方ニ居候
万次郎
吉岡治郎右衛門御代官所
同州同郡下新井村
元名主 新左衛門
大岡主膳守領分
同州同郡平野村
名主 七郎右衛門
長山弥三郎知行所
同州同郡神明下村
百姓 常次郎
平岡美濃守知行所
同州同郡七左衛門村
百姓 林蔵
野田源五郎御代官所
同州同郡七左衛門村
百姓 惣右衛門
高木伝七郎知行所
下総国相馬郡小文間村
利右衛門
御奉行所
中追放江戸日本橋ゟ四方へ五リ宛
武蔵壱ヶ国御構