(『御用留三番』大沢福井家蔵)
乍恐以書付奉申上候
大沢町名主代兼問屋権右衛門并年寄共一同奉申上候、当月七日夜暮六ツ半時頃羽倉外記様御代官所、越谷町裏四丁野村百姓平左衛門方より及出火、折節南風烈敷当町之義ハ風下ニ而一面火移百九拾軒余類焼仕候ニ付、其段奉訴上候処御出役之上焼失場御見分被成下、絵図面御取調之上猶又今十日貯穀焼失場共御見分ニ付、為御案内罷越居候処、何歟往還通騒敷候ニ付、当宿内類焼場灰片付之者共大勢彼是申候ハ未当町之義灰片付不仕候処、右村火元平左衛門義昨九日羽倉外記様御手代衆共見分之上、今朝未明ゟ灰搔捨小屋場地形いたし入寺御免有之由及承候間、四丁野村へ見届ニ可罷越由大勢立騒候間、私共御案内之義御猶予御願申上右之始末共右村方江罷越否聞届可申候間、取鎮候様可仕趣申聞之、右村名主伝次郎方へ罷越村役人一同否之訳為承合候処、伝次郎申聞候ハ御手代石黒永右衛門殿昨日御見分之上、取片付跡始末致入寺御免之義被 仰渡口書御取揃御出立被成候由相答候間、私共申候ハ多分之類焼場も有之上は、一軒家同様当時ゟ御免は如何敷候義、村役人中御間違之筋も可有之哉、いつれ地形小屋掛等延引縄張可被差置義共種〻談し合候内、大勢之者共跡ゟ罷越候間不束之始末も無覚束、私共一同表戸口木戸際へ立塞リ精〻相制候へ共、手広之場所ゆへ外垣通リ抜潜罷越候もの共多有之、私共一同怪我之程も無心元奉存候間、右場所始末合之義委細及欠合引取可申と奉存、年寄作左衛門方へ罷越候処、佐左衛門義ハ旧冬退役仕候間、年寄所右衛門方へ可被御越様任案内、佐左衛門同道所右衛門方へ罷越候処、右一件ニ付村役人参会之席へ罷越候由、案内之者申之候間待居候処暫不罷越漸立帰リ、所右衛門申候は狼藉之始末ニ付年寄文蔵・太郎兵衛御検使願ニ罷出候由私共へ申聞候、私共始末合之義不奉存候得共、掛合方不行届内、大勢之者駈付伝次郎宅打毀引払候義ニ而、御取締之義相願候間も無之、大勢之者引取候ニ付定而私共義頭取相騒候抔と、無質之難題申掛相手可申と奉存候間、此段前断御訴奉申上候、以上
武州埼玉郡大沢町
名主代兼
文化十三子三月十日 問屋 権右衛門
年寄 利左衛門
同 彦右衛門
同 伊右衛門
同 弥平太
大貫次右衛門様御手代
山口与作殿
前書之通申上候処、被仰聞候ハ大勢之内頭取候者も可有之間、取調書上可申様御申渡御座候得共、誰頭取と申候ニも無御座、三四百人程焼場すがら之者共其外近在ゟ灰片付ニ罷越候者ともにて、見留候もの無御座候、此段以継訴奉申上候、以上
子三月 権右衛門
利左衛門
彦右衛門
伊右衛門
弥平太
乍恐以書付奉願上候
一当御支配所武州埼玉郡四町野村名主伝次郎煩ニ付、代忰太郎兵衛并親類年寄文次郎一同奉申上候、昨十日大貫次右衛門様御支配所大沢町橘屋権右衛門・粕屋銀次郎・帳付政右衛門始として重立候もの弐三拾人、其外町方之者共凡五百人程鑓・長刀・長脇差を帯し鳶・鋤・鍬・熊手等夫〻得物を持参伝次郎宅へ罷越、何之訳合も不申聞無二無三利不尽ニ打毀し、御用書物等取散し諸道具等ニ至迄打こはし乱妨狼藉之始末御座候、尤家内之者共一命も危候間漸逃去申候得とも、外四丁野村家並之者共打こはし候様申候間、村内之者とも隣村へ遁去申候始末、村内之者共一同案心不仕候間、何卒以 御慈悲御検使御見分之上御取鎮被成下、村内之もの共一同案心住居相成候様被成下度奉願上候、猶頭取之者共名差其外之義は、以追訴追〻可奉申上候、以上
文化十三子年三月 武州埼玉郡四丁野村
名主伝次郎煩ニ付
代忰 伝次郎
[親類/年寄] 文次郎
羽倉外記様御役所
追訴名書之面、茗荷屋政右衛門・米屋長兵衛・虎屋次兵衛・若松屋次郎右衛門・慢頭屋平右衛門・叶屋新兵衛・丹波屋半蔵・かと甚兵衛忰亀五郎・竹屋文五郎・桝屋彦兵衛・そは屋又兵衛・いせ屋安五郎・嶋根元之丞・五郎吉・大黒屋嘉右衛門・小松屋百次郎・吉五郎・中宿乙七
〆
先検使永【石カ】黒永右衛門殿引代リ田中寿三郎殿、大貫様御立会山口与作殿、火元平左衛門手鎖村預ケ、右一件内済御下知
差上中一札之事
武州埼玉郡四町野村百姓平左衛門宅ゟ及出火、同村并同郡大沢町類焼致候一件御手代中被差遣、御見分御吟味之上曲淵甲斐守様へ御伺被成候所、平左衛門義灰小屋ゟ致出火多分之家数并大沢町土蔵ニ入置候御下穀・貯穀とも致類焼、同町源兵衛外壱人怪我ニ而致火傷候所、御下穀ハ同町ゟ致弁納、貯穀之義も同町ゟ積戻候積申立、源兵衛外壱人支離は勿論農業渡世之差障ニも不相成段是又一同申上候得共、平左衛門義火元情〻可念入処、等閑之義不埒ニ付手鎖被仰付、同人地主五人組之者共も同様不埒ニ付押込被仰付、村役人共ハ急度御叱被置候、大沢町之者共義急火とハ乍申御下穀・貯穀等如何様ニも防方可有之処、取計方不行届不念ニ付、所役人は急度御叱被置、其外之者共ハ御叱被置候旨被仰渡一同承知奉畏候、若相背候ハゝ重科可被 仰付候、依之御請証文差上申所如件、
羽倉外記御代官所
武州埼玉郡四丁野村
佐左衛門地借
文化十三子年四月廿一目 百姓 平左衛門
右佐左衛門煩ニ付代
忰 清次郎
組合 甚左衛門
同 又右衛門
同清七・蔵之助・伊八
代 八五郎
年寄 庄右衛門
名主伝次郎煩ニ付代兼
年寄 文次郎
大貫次右衛門御代官所
同州同郡大沢町
御下穀并貯穀願人之内
此度焼失致候者
名主 太郎兵衛
組頭 弥五左衛門
百姓 弥次兵衛
同 長十郎
右四人惣代
長十郎
年寄 弥平太
名主代兼
問屋 権右衛門
大貫次右衛門様
羽倉外記様
御役所
請取申金子之事
一金百両也
右は拙者宅建具・衣類・諸道具破取繕金、書面之通リ慥ニ受取申候、以上
四丁野村
文化十三子年三月十八日 名主 伝次郎
親類 文次郎
清右衛門新田
同 八右衛門
大沢町
百姓 権右衛門殿
外 拾八人殿
覚
三月十四日入
一金百両 四町野村一件ニ付借用
此訳
一金弐拾両 紺屋 浅右衛門殿
一同三拾両 新町 弥兵衛殿
一同弐拾両 塩屋 吉兵衛殿
一同弐拾両 草加 仁兵衛殿
一同拾両 亀屋 甚内殿
〆 此分七月はし長ゟ取替
右遣払
一金八拾五両 ○四町野伝次郎方へ遣
一金弐両 ○山口与作殿江
一金壱分 ○小山勇介殿へ
元弐両三分三百五十六文割
一金壱両壱分弐朱百七拾六文
○扱人四人雑用ニ出ス切手有之候分
此訳切手面
一九百八拾文 きの国屋善右衛門方三人賄
一五百文 同断手打之節酒代
一金壱分 同断茶代
一金弐朱 四丁野佃屋茶代
一金壱両 うとん屋伝吉方諸入用茶代
一五百廿四文 済口証文紙らうそく代
一三貫九百五十文 四ッ目屋払扱人雑用代
一三百五十文 同断立かへ物
〆壱両壱分弐朱六貫三百弐文
此割
壱両壱分弐朱百七拾六文ツゝ [大沢町/四丁野村]
右之御出金可被成候、以上
三月十六日 登戸村 八右衛門
大房村 弥五左衛門
上間久里村 幸蔵
大沢町中町 喜兵衛
一金弐分六百文 ○山口殿賄入用八人分
一弐百文 ○草加宿へ使之者小遣
一八貫七百廿四文 此金壱両壱分ト弐百廿四文
○うとん屋万次郎方払
四月五日
一六百五拾文 ○怪我人共口書之義ニ付、飛脚吉
兵衛并弁当代共
三月廿五日
一銀拾匁 此弐朱ト弐百八十三文
○惣代立権右衛門茗政右衛門雑用
一四百八拾文 ○右賄代まん頭酒代
一弐百文 ○右両人茶代大坂屋へ遣
一四百六拾四文 ○筆墨紙入用
四月廿日分
一五百五拾文 ○御下知呼出飛脚
一弐百五拾文 ○貯穀一件ニしかけ入用
一弐朱 ○扱人上間久里村幸蔵殿
一弐百文 ○右同人江くわし
一四百文 ○年寄弥平太百姓代長十郎弐人雇
一金壱分弐朱 ○権右衛門四泊継返小遣
一金弐両 ○扱人四人江謝礼
合金九拾三両ト銭四貫六百八拾七文
此金九拾三両弐分壱貫弐百八十七文