三七九 文政十三年七月西国順礼に付詫書

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(東方中村家蔵)

  差出申一札之事

一当村之百姓共老若、先月中富士参詣致し度旨相願候間、任其意聞済遣し候処、追〻風聞之趣を以各方ゟ如何之事ニて議定面ニ振レ、草耕最中西国順礼ニ差遣し候哉、村〻熟談申合候詮を失ひ御取締筋江相響難差置候間、其筋を以村〻一同ゟ御願可被成趣被申聞、村〻役人共全西国順礼とハ不心付、富士参詣与申被賺候儀今更申訳も無之、依而ハ右之者共帰宅次第銘〻村役人共ゟ議定不相用段、厳敷取締方相付、以来外〻之者共夏中西国順礼ニ決而罷出不申様可致候間、此度小前心得違之段御勘弁被下度申入候処、御承知被下然上ハ村役人共も猶又無油断心付、聊心得違之者無之様可致候、為後日証文一札入置申処如件、

  文政十三寅七月   立ノ堀 伊草  松之木

            中馬場 小作田 大曾根

            東方  青柳  登戸

      大小惣代中