三八一 文政十三年七月 悪者取調猶予願

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(東方中村家蔵)

   差出申一札之事

          山田茂左衛門当分御預り所

             武州埼玉郡西方村

               百姓戌蔵事

                  久右衛門

               名主次郎右衛門組下

                  伝左衛門

               熊太郎事

                  五助

                  元七

              名主弥右衛門地借

               松五郎他出ニ付代兄

                  弥太郎

               鉦扣 孫蔵

         大聖寺領同州同郡同村

               百姓源六忰

                  幸次郎

               同勝右衛門忰

                  善蔵

                  伝兵衛

                  市之介

            松平下総守領分

             同州同郡東方村

               名主万五郎地借

                  礒兵衛

                  鉄五郎

右之者共儀平日農業嫌ひ遊歩行、身風俗不宜博奕又ハ右之場所江商ひ等ニ罷出候儀御聞ニ入、大小惣代ニ而取調否可申上旨名前書を以被 仰渡候由、各〻方ゟ村役人方江御達し有之候ニ付、村役大共方ニて右名前之もの共并親類組合急度相糺候処、博奕又ハ右之場所江商ひ抔ニ罷出候儀ハ無之候得共、一躰右之者共儀ハ身弱ニ而農業ハ難相成、所〻遊歩行平日慎方不宜候故右等之風聞を受候儀ニ而、今更先非後悔相弁江今後身躰相改、農業出情身風俗等急度相改、悪敷風聞を受不申様可仕旨村役人共江取縋リ相歎候、弥本心ニ戻入候旨申之ニ付、当人親類組合連印証札村役人方江取置候間、此度御取調之儀各〻方ゟ何分ニも御猶予御願可被下候、若相背候ハゝ村役人ゟ各〻方江申達候間、其節ハ無用捨其筋江御申立可被成候、且越ヶ谷無宿長兵衛儀鉦扣孫蔵方ニ罷居候段是又御聞ニ入候由御達ニ而、前同様相糺候処、右長兵衛罷居候儀ハ勿論差越候儀無之由、当人孫蔵申し候得共、右風聞請候儀ハ一言之申訳無御座候、此上罷越候得ハ番人付置取押早速村役人方江召連候旨、当人親類組合ゟ書面を取置候間、右一同御取調御猶予各方ゟ是又御申立可被下候、若向後両様共悪事之風聞有之候ハゝ、何様ニ申立候共当人親類組合村役人一言之申訳無御座候、且当人共身躰相違無之儀ニハ候得共、前書名前之もの共へ各〻方ニても銘〻御糺被成候処、弥村役人共被申聞候通リ聊相違無之候ニ付、向後一ケ条たり共村役人各〻江申立候儀ハ、風聞ニても有之候ハゝ各〻方ゟ無用捨、其筋へ何様ニも被申立候共決而脇之筋無御座候、依之一同連印差出申候処如件、

 文政十三子年七月    右西方村 久左衛門

                  伝左衛門

                 【外二四名連名略】

    大小惣代中